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サッカーコラム

現実は厳しいものだけど、切ない・・・。

昨日、TVでG大阪vs清水の試合を見ていて、ふと思い出したのです。

<strong>「あれ?そういえば平松ってどこいった?」</strong>

調べてみたら、静岡FCという社会人クラブに行ったまま、その後消息が無い。
合併した藤枝MYFCの選手一覧にはすでにいない。
たぶん、知らない人がほとんどだと思うんですが、この選手はあの澤登の後継者と言われた選手です。藤本淳吾が現れた時点で(そして10番をつけた時点で)その路線はもうなくなったのかもしれないが、それでも確か一桁背番号(8番だったかな)をつけて活躍していたはず。怪我がちで少し安定しない選手ではあったものの、ドリブルの切れ味は凄かったし、スピードもあったし、パスもうまい良いアタッカーでした。お世辞じゃなく、今頃代表で活躍している可能性もあったと思う。それぐらい、才能に溢れた選手だったのにそれがいま無所属とは・・・。というかJFLどころか地域リーグまでレベルを下げていたことにも驚いた・・・・。J2向きの選手ではないけど、あのレベルならどのクラブでもじゅうぶんやれると思うんだがなぁ・・・。

で、そうやって気になって他の選手も調べてみた。


<strong>■大野敏隆</strong>
http://www.kiryutimes.co.jp/news/2010/0315/1003151.html
ヴェルディをクビになった後、どうしてるのかと思ったら、なんと引退していた・・・・。
この選手も知らない人だらけでしょうねー。

素晴らしい選手だったんですよ。
ワールドユースで、あの中村俊輔を差し置いて「パスだけなら大野の方が上」とチームメイトに言わしめるほどの名手だった。レイソルでも10番をつけ、まさに俊輔と同様にクラブの司令塔だった。ほんと、レイソル時代はいい働きしていました。かたや、押しも押されぬ日本の歴史に名を残す10番、方やJ2レベルですらクラブを追われ引退ですよ・・・。残念です。ほんとに、パスは素晴らしいものを持っていたので。しかし、ドリブルとか得点っていうのは確かに少なくて、それがトップ下で生き残れなかった原因でしょうね。



<strong>■酒井友之</strong>
こちらもびっくりした・・・。
なんと、無所属・・・・・。

ほんっっっっっとに良い選手だったんですよ。
冗談抜きで、今G大阪で中盤の守備を一手に引き受ける明神と比較しても全くひけをとらない選手でした。むしろ、対人守備では明神に軍配があがるかもしれないが、パスセンス、テクニックなどの攻撃力は酒井の方が上だったと思う。

性格的なものなのか、ドリブルやパスなど派手なプレーはしないんですがその実、基礎技術は本当に高い。ロングボールをピタッとトラップしたり、またロングパスの精度も実はかなり高かった。この辺は明神にはできない芸当。それこそ、J1は確かに競争が激しいがJ2ならどう考えても超越したレベルにあった。少なくとも、シドニー五輪当時の頃の能力そのままだったとしても、J2なら将軍になれるほどの力があったと思います。圧倒的なスタミナと高い基礎技術をベースに中盤を走り回り、パスをつnなぎ、チームの中心になれたはず。たとえばエドガー・ダービッツ、ディディエ・デシャン、ロイ・キーンのように。ただ、性格がおとなしい。それが、良くなかったのかもしれない。

もう、これはお世辞でも贔屓目でもないです。酒井友之という選手は、本当にそれぐらいのセンスがあったんです。もし僕がJ2クラブの監督なら、まず間違いなくオファーを出してる。


<strong>■ボタン一つの掛け違いなのかも・・・</strong>
大野は、パスセンスは本当に凄かった。
たとえば、どこかの監督が彼をボランチとして中心に据えるサッカーを展開していれば、もしかしたら彼は今頃遠藤に代わる代表のマエストロになっていたかもしれない。本当に、それぐらいの才能はあった。間違いなく。いや、パスセンスの中でも、スルーパスやロングパスは絶対に大野の方がうまかった。たとえば横浜Fマリノスで活躍した上野という選手は、高校時代優れた攻撃的MFとして大活躍しマリノスで期待されたがなかなか芽がでなかった。それが、ボランチにコンバートされてからそのテクニックと展開力が活きて、マリノスの中心選手に育ち、代表候補まで上り詰めた。例えば、代表で活躍している川崎Fの中村憲剛は全く無名の選手で、川崎Fにも紹介からなんとか入団したような選手。入団しても攻撃的MFとしては全く芽が出なかったのを、ボランチにコンバートされてから覚醒、クラブの顔となるような活躍をしている。たった、それだけのことで、監督との出会いで変わってしまう。そもそも、彼がレイソルでそのポジションを失ったのは、トップ下を置かないシステムを好む監督によるものであり、そこから身体能力に優れたブラジル人にポジションを奪われた。もし、あのままレイソルに西野監督がいたら、結果は違っていたものになっていたかもしれない。


たとえば、ずっと一線で活躍し続けている明神だけど、それは西野監督からの信頼によるものが大きい。レイソル時代からずっと明神を信頼してピッチに送り出している。西野サッカーにもっとも重要なのは遠藤ではなく、もしかすると明神なのかもしれない。もし、もし当時のレイソルに明神ではなく酒井がいたら。たぶん、間違いなく西野監督は明神と同じような役割を酒井に与えたと思う。そして、酒井は間違いなくそれに応えられる選手。すると、もしかしたら、G大阪で黄金の中盤を支えていたのは、酒井だったかもしれない。


当然、選手個人の能力の無さと言ってしまえばそれまでで、もし本当に力があるならどの監督の下でも活躍をしているのかもしれない。ただ、やはりそこには運・不運や出会いがあり、そのおかげで生き残れている選手というのもやはりいるわけで、本当に大きいんだなと思う。中村憲剛は今頃全く世間に認知されずにサッカーをしていたかもしれないし、明神は並みの守備者としてポジションを追われていたかもしれない。そう考えると、なんと残酷なんだろうと思います。勝負の世界なのだから仕方の無いことなのだけど。同じシドニー五輪世代、大野も酒井も代表候補に名を連ねていたし、酒井にいたっては不動の右ウィングバックとして本大会にも出ていた程。それが、方や日本の10番と7番や、チャンピオンチームでいぶし銀の活躍をする選手で、方や引退と所属クラブなしですよ。これほどの差が開くほど、当人たちに実力差は無かったはず。(特に明神と酒井)

切ないなぁ・・・・。

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