センターサークルのその向こう-サッカー小説-

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サッカーコラム

コミュニケーションと責任論。

イングランド戦を終え、充実した内容を披露した日本代表。
で、そこで出てくるのが、それでも岡田否定論者。
意味が分からないんだが、韓国戦やセルビア戦で無様な試合をした時は全て岡田監督の責任にするくせに、勝てばそれは選手のおかげだという。なんだそれは、おかしいだろw ダブルスタンダードですよ。

僕も、今回の変化の原因は選手のコミュニケーションにあると思います。
しかし、それはそのまま=岡田監督の手柄ではないとは思いません。
そもそも、分けて考えるのがおかしいんですよ。
サッカーにおいて、勝利する、敗北するというのはつまり得点が入る、失点を受けるということの連続なわけですが、そこに至るのに、それが監督の采配一つ、選手のコミュニケーション一つに起因するわけがない。これは本当に日本人の悪しき習慣で、物事を分解しない、結果をそのまま受け取る風習。結果をそのまま受け取るから、その結果の原因もひとつしか考えない。原因=結果としか捉えず、そこにあるいくつもの事象に目を向けない。ゆえに、日本はすぐ責任論になる。誰か一人の責任にして、その一人が原因で失敗したと思い込むことが多い。というより、一人に言及して、原因の追究、調査という方に目が向かない。トップ、リーダー、マネージャーを責めるだけでは何も変わらないし、何も見つけられない。これは仕事も政治もプライベートもそう感じます。この国は、一人ひとりが自立した考えを持たない限り、誰が総理をやっても変わらないですよ。

イングランド戦で疲労した日本代表の姿は、紛れも無く岡田監督が推し進めてきた、仕込んできたサッカーですよ。小さいヤツが走り回り、プレスをかけ、ラインを高く持ち、短い距離でのパス交換を繰り返し、相手のプレスをかいくぐり、相手の懐に飛び込む。紛れも無く、そのままでしょう。彼が仕込んできたサッカーが、選手の努力によって開花したという単純な話であって、選手が監督抜きでコミュニケーションを取るだけであんなサッカーができるわけがない。できるのなら、ドイツでだって出来ていたはず(いや、だからこそジーコJAPANはたまーにあんなサッカーをしていたわけですが)。

岡田監督はきちんと思考して、手を打ってきた。
イングランドという超強力な難敵を前に、俊輔を休ませた。
本番を考えれば、俊輔は明らかに休ませた方が良かったが、しかし大黒柱の10番を、この大一番(世論や進退論という意味で)で外すというのはかなりの勇気がいるものと思う。それをやってのけたのは評価できる。そして何より、阿部のアンカー起用。お見事。阿部は本当に素晴らしかった。彼の最も輝くポジションがボランチであることは周知の事実だが、ただ阿部は遠藤や中村憲剛のようにパスを細かくさばけるタイプではない。もしかしたら、阿部のベストポジションはアンカーなのかもしれない。これまでの土台をきちんと踏襲し、その上でリアリズムを上乗せする起用だったと思う。阿部があそこまで当たるとは。

その土台に選手たちのコミュニケーションがのって、ああいう連動性あふれるサッカーになった。
しかし、僕はそもそもそこがもうおかしいと思うわけで。
連動性が大事というおことは当然連携力はかなり高いレベルで求められる。
のに、松井と長友は3月のバーレーン戦で「初めてじっくり話した」と言っている。
いままで何度も日本代表として戦ったのに?

「選手同士のコミュニケーションのおかげで~」
と盛んに言われるが、どちらかというと今までそんな当たり前のことをしてこなかったのかと思う気持ちのほうが大きい。サッカーを大真面目にやったことがない人にはわからないかもしれないが、実際の試合と同じくらいか、それ以上にその前後のコミュニケーションというのは大事です。それはただ単に仲良くなるとか意見を交換するという低レベルなものではないです。敵が右サイドからドリブルで突っかけてきたらどうするか、誰がプレスにいくか、誰がこぼれ球をひろうか。右MFがボールを貰うときにはどの場所で、どういうタイミングで、どうやってボールを貰い、右SBはその後どういう軌道で走り抜けるか。1シーン1シーンごとにそこには解が存在し、同時に絶対的な答えはない。それはチームの戦術、その二者間の個性のよって変わる。

これは、低レベルの草サッカーでも全く同じことです。例えば僕が右MFに入ったら、スペースへのロングボールを受けるのは得意ではない。その代わり中盤で受けて展開することはできる。だから、僕は縦より横に動く。中に絞ったり開いたり。そうすることで右側にスペースをつくり、右SBが駆け上がれるスペースを生み出し、右SBがボールを持てばワーンツーを受けに行ける。当然、右SBがオーバーラップをすればその穴を埋めることもする。しかし、それもコンビを組む右SBによっても違う。守備力やスタミナに長けたタイプなのか、スピードに長けたタイプなのか、テクニックやパスセンスに優れたタイプなのか。僕とのパス交換で崩すのか、僕が前でもらって起点になるのか、僕はキープして彼のあがりを促すのか。それは、実践でプレーし、そしてその後に本人と話しあうことで見つかる。守備の仕方一つとっても、どのタイミングでどっちを切るのか、どこで声を出して、自分は外にいくのか、中に備えるのか。それはコンビを組む相手のあることで、自分独りでは決まらない。だから、話しあう。

結局、ピッチ上で戦い、判断するのは選手です。
どんなに監督が戦術を叩き込んでも、その局面局面すべてについて監督が指示を出すことはできない。そもそも、同じシーンなど二度と無いのだから。だから、それは個人個人がその場で判断するしか無く、そして、その集合体がチームであるならば、その判断の基準をいくつも持つことが必要になり、それは話し合いでどんどん増えていくもの。それを人は「連携」と呼びます。だから、サッカーを本気でやろうと思えば、話し合いをしないなんてのはありえないわけです。どんなに個々が優れていたところで、ボールを持った相手のところに守備者がいなければ関係ないんです。まず、そこにいないといけない。でなければ守備力すら発揮できない。

8年前は、トルシエがそれを許さなかったが、それでも名波や中田英寿はコミュニケーションを取り、そして最低限のコミュニケーションで済むようにトルシエが全てを教えた。ゆえに、型にはまったサッカーしかできなかった。4年前ジーコは何も与えなかった。話し合いすら起きず、一人コミュニケーションを訴えた中田英は、異端と捉えられ、チームは崩壊した。中田英はコミュニケーションの重要性を語ったが、しかしたくさんの個性を束ねるほどのコミュニケーション能力はなかった。名波のような、たくさんの人を巻き込めるスキルは持ち得ていなかった。

つまり、その部分において、日本サッカーは進化してないのですよ。
中村俊輔には、それができていなかった。いや、そもそも中村俊輔はそんなこと考えてもいなかったのだと思う。コミュニケーションは大切だが、そんなものは当たり前であり、自分の周りに対して自分が率先してやるというだけだった。チームとして話し合いの場をつくる、なんてことは発想がなかったに違いない。ゆえに、長友や駒野、内田という自分のプレーエリアの人間としかそういう話をしていない。それが悪いと言うことではなく、全員がそれをする意識を持ってないことが問題で、それを今までは主将やリーダーの一声で解決してきた。中村俊輔も中田英もその器ではなかったと言うことであり、そして中村俊輔はその中でも問題を感じ、自分から呼びかけるようになったということだと思います。

名波も引退後に「強いチームはたくさんサッカーの話をしている。先輩が後輩を食事に連れて行くということも多い」と語っています。そういうことをできるベテランがいなかったのが一つの問題。そもそもそんなことしなくても個々がコミュニケーションを取るという意識がないと言うのがもう一つの問題。そこまで話し合いをせずとも同じ方向を向けるほどの歴史がないのが、今後の課題。

いつも言ってることですが、監督一人、リーダー一人を責めても何も生まれない。
失敗や成功には必ず原因があり、それはプロセスを分解し理解することからしか見えてこない。
選手がいて監督がいて、1vs1があって、戦術があって、戦略がある。
ボールを奪うまでのプロセス、失点するまでのプロセス、勝利までのプロセスをきちんと自分なりに分解して、どこで、何が起きているから、こういう結果になったのか。もっと冷静にならないと、物事は見えてこないと思います。

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