センターサークルのその向こう-サッカー小説-

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サッカーコラム

【エルゴラ1419号】G大阪vs浦和を「宿敵」とは呼んでほしくない。【前編】

今号のエルゴラは当然のようにJリーグ開幕戦のレビュー。毎回、とくに自分が観戦した試合のレビューは納得いかないことも多いが、速報性も含めて重宝すべき紙面であることは間違いない。(たまに超納得いかないレビューもあるけど・・・)

さて、そんな紙面のなかで、いまいち腑に落ちない表現が。

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それは、G大阪vs浦和の試合。


そこかしこに「宿敵」という表現が使われている。

表紙にまで大きく「宿敵撃破」の文字が。
記者に思い入れがあるのか、読者を煽りたいのか、世の中の大半の事象がそうであるように「その両方」なのかはわからないが、これにはどうしても違和感がある。

たしかに、G大阪と浦和は一時期「ナショナルダービー」と呼ばれる時期があった。両者がJリーグの絶対的な強者として存在し、(比較的に)長い期間においてその両者のみで覇権を争った時期があるのは事実ではある。しかし、残念ながらそれはもう「遠い昔」と言って差し支えないはず。現在、方や上位常連になり優勝を狙う強豪クラブであり、方や2部リーグからの昇格クラブで、この2クラブを地域やクラブカラー、背景などの因縁なく「宿敵」と呼ぶには無理があると思う。

そして、もし「ナショナルダービー」の名を「そのまま」残すのであれば、Jリーグの歴史を紐解けばまずは東京Vvs横浜FMになるし、その強さと覇権を争った期間の長さ(つまり覇権をわけあった期間の長さ)でいえば、まず該当するのは鹿島vs磐田に他ならないと思う。
しかし、その両カードともに残念ながら(対戦カードとしては)見る影もないと言わざるを得ない。長らく低迷し、昨年だけでなく降格争いをした磐田と、その間に三連覇を達成した鹿島を「宿敵」呼ぶのは無理がある。

たとえば、このあと再びG大阪が復権し、浦和との2クラブ間でJリーグ王者を争うことになったのなら、それが仮に今年だけになったとしても、その一瞬において「かつての宿敵」ではなく無印の「宿敵」を使っても良いかもしれない。結果的にその一年だけであったとしても、人々は過去の2強時代を思い出し、このあとも続く熱き戦いを夢見ることもまたサッカーの、自国にプロリーグを有することの楽しみだと思う。

でも、やはり許されるのはそこまでであって、G大阪と浦和が「2強」と呼ばれるほどに復活しない限りは「"かつての"宿敵」でしかないと思うのだ。そこに、かつてのナショナルダービーを起点にした「宿敵」は適切ではないと思うのだ。

いや、正直に言う。
僕は現在のG大阪vs浦和のカードに「宿敵」という言葉は使ってはならないと思う。

僕がナショナルダービーを起点にした「宿敵」という言葉に思い入れが強過ぎるのかもしれない。

僕は、96年から始まる鹿島と磐田のナショナルダービーが今でも一番好きだ。V川崎と横浜M(あえて2クラブとも、こう書く)も好きだったが、そもそもが「なぜか日産だけには勝てなかった」というジンクスからはじまっている感の強いそのカードより(事実、この2クラブがリーグ覇権を争ったのは95年のみだったはず)、その後7年に渡りたったこの2クラブだけで覇権をわけあった鹿島vs磐田の方が好きだ。

そこには、ただ単に「強い」というだけではない何かが、それこそ・・・そこらじゅうに転がっていたように思う。

当時、バリバリの現役日本代表だった秋田豊と中山雅史の、本当にブラウン管から身体がぶつかる音が聞こえるのではないかというほどの勝負には見ていてハラハラドキドキさせられた。98年には中山が連続ハットトリックでギネス記録を打ち出せば、秋田はW杯でバティストゥータに身体負けない守備を見せた。その、代表では同じピッチで戦った仲間である二人が、日本のピッチに戻れば、そこだけで金が取れるのではないかというほどの、ライバル心向きだしの勝負を繰り広げる。

熱い火花を散らす勝負はそこだけではない。
藤田と名波による抜群のテクニック&コンビネーションを、いわゆる典型的な「守備的MF」であり、(決して褒められたことではないが)ファウルも厭わないクラッシャー本田泰人とジョルジーニョのダブルボランチがどう食い止めるのか、その逆に絶対的な司令塔であるビスマルクと優秀な「副官」阿部敏之や、「飛び道具」増田忠俊が、驚異的な身体能力と守備センスを誇る服部と福西をどう攻略するのか、非常に非常にワクワクする戦いだった。そして、98年まではまだ「幼かった」彼らを見守りときに戒めるように、ともに94W杯優勝メンバーであるジョルジーニョとドゥンガが両クラブの中盤に鎮座していた。

現役バリバリの代表クラスの戦いだけではない。鹿島には柳沢がいて、そして99年以降にはワールドユースで大活躍し歴史的な結果を残したメンバーがそれぞれのクラブにいた。鹿島には本山、小笠原、中田浩二。磐田にはなんといっても高原。両クラブにスターである新人がいて、彼らはともに"ひよこ"ながら「強大な宿敵」に果敢に挑んだ。

個人間だけではない、グループやチームとしてのぶつかりも激しかった。日本代表のときより楽しそうにそして優美にタクトを振る名波と最前線奏者の中山に対するは、秋田、奥野、相馬、名良橋のディフェンスライン。なんと4人中3人が代表スタメンであり、97年までは代表常連であった前述の本田泰人がその前に居並ぶとすれば、これはもう日本代表の守備陣と言ってもさほど問題はないんじゃないか。この、まるで日本代表の攻撃陣と守備陣がピッチで本気で戦っている錯覚すら覚える戦いにしびれないわけがない。

さらにこの2クラブの間には、相容れることを許さない「連綿と横たわる何か」があった。

長くなったので前編後編にわけました。

後編はこちら「G大阪vs浦和を「宿敵」とは呼んでほしくない。【後編】


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