センターサークルのその向こう-サッカー小説-

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サッカーコラム

【エルゴラ1419号】G大阪vs浦和を「宿敵」とは呼んでほしくない。【後編】

※前編はこちら「G大阪vs浦和を「宿敵」とは呼んでほしくない。【前編】

さらにこの2クラブの間には、相容れることを許さない「連綿と横たわる何か」があった。

それは「スタイルの違い」。
当時のジュビロ磐田は、おそらくその後、遠藤保仁が覚醒するまで日本サッカー史に二人とあらわれることのない「スーパーコンピューター」を頭脳に積んだピッチ上の名波を中心にした、流麗なパスワークが売りのチームだった。それに対抗する鹿島アントラーズは、絶対的司令塔のビスマルクを中心としたオーソドックスなスタイルのチームだった。

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このあたり、もう少し詳しく語らせてほしい。
上記で「遠藤保仁が覚醒するまで」と書いたが、正直に言えば、右足がただのつっかえ棒だったことと膝の怪我持ちだったことをのぞけば、スーパーコンピューターを搭載するMFとしては名波の方が上だったと思っている。これはきっと完全に個人的主観だ。個人的主観だが、それでも主張したい。名波には、中盤を仕切る頭脳だけではなく、もう一列前でも"芸術"を奏でられる「アート」があったと思っている。ボランチとしての"ゲームコントロール能力"と繊細な左足が繰り出す"ファンタジー"を奇跡のバランスで兼ね備えていたのが名波で、その彼だからこそ、後に「Jリーグ史上最強イレブン」と称されるN-BOXが実現したと思っている。

その名波を中心に、その知略のすべてを実現する藤田、奥、福西、服部というMF陣。そして「隊長」中山雅史とのちに高原。ジュビロ磐田のスタイルは、彼らが決して自分のポジションにとどまることなくポジションチェンジを頻発し、そこから繰り出す流麗なパスワークを阿吽の呼吸で実現するある種の「危うい奇跡」のサッカーだった。ドゥンガがいたときには、その「危うさ」をときに引き締めていたと思う。
特徴的なのはやはりその阿吽の呼吸で、彼らは基本的に複数のポジションをこなせるが、何よりすごいのはユーティリティプレイヤーというだけでなく、試合中にそれが発揮できる抜群の、いや奇跡に近いコンビネーションだったりする。名波と奥は攻撃的MFも守備的MFもサイドもこなすし、藤田も中と外のどちらにも出没し、そして彼はなんといっても超一流のシャドーストライカーだった。福西は元FWであり、服部は守備センス抜群の守備的MFのみでなく、サイドを駆け上がってクロスをあげる優秀なサイドプレイヤーでもあった。当時のジュビロは、最前線の中山や敵の間をスルスルとすり抜ける藤田を筆頭に、いま思えば忍者の集まりのような中盤だった。自分の持ち場にとどまらず、攻撃に、守備に、中央に、サイドに神出鬼没に動き回り、それでもバランスが崩れない「あいつならここにいる」を驚異的なレベルで共有した"危うい奇跡のサッカー"

一方で、鹿島はある意味でその対極にあるチームだったといえる。
ボール技術、パスセンス、フィジカル、そのすべてを高水準で兼ね備えるパーフェクトな司令塔だったビスマルクを中心に、磐田とは対照的にそのビスマルクを支えるスペシャリストが各ポジションに集結していた。先述の典型的な守備的MFである本田に、バランサーのジョルジーニョ、労をいとわず無尽蔵とも感じるほどの上下動を繰り返す、相馬と名良橋の両サイドバック、まさしくザゲイロ(跳ね返し屋)の鏡だった秋田に、スペースに飛び出し鋭利なアタッキングをする増田や、絶対的司令塔の横で効果的で繊細な配球を繰り出す阿部敏之。そして、スペースメークとランを繰り返す柳沢や、前線でボールをおさめるマジーニョ、空中戦を制する長谷川。決して、"つまらないサッカー"を展開するチームではない。きちんとボールをつなぎ、スペースをつくり使える、魅力あふれるサッカーをしていたが、しかしそれはジュビロ磐田のそれとは異質なものだ。いや、正確には「ジュビロ磐田が異質」という方が適切な表現だと思う。

鹿島は、守備にしても攻撃にしても、基本に忠実、基礎やセオリーの積み重ねの上に構築されているサッカーだ。それは磐田の「流麗かつ大胆なポジションチェンジとパスワークがおりなすサッカー」とは似て非なる、対極に位置するサッカーだといえる。各地にスペシャリストが散らばり、複数ポジションをこなす選手も少ない。それぞれのポジションに最適な、そして国内において絶対的な力を誇る駒が盤上に構える。そしてそれを、完璧な司令塔ビスマルクが司る、"完璧なサッカー"。

当時、互いが互いをどう揶揄していたかはわからないが、構図としては非常にわかりやすい。どちらも攻守に力を発揮するチームであったが、その成り立ちが全く違う。片方が「セオリー通りでつまらない」と言えば、片方は「うわっついたサッカー」というかも知れない。
とある日の戦いでは「基本に忠実に積み上げたサッカー」を、フィールドせましと走り回る"忍"のジュビロ磐田の「美しく危うい奇跡」が撃破すれば、いつかの戦いでは「うわっついたサッカー」を鹿島アントラーズの、司令塔を中心とした完璧なイレブンによる「ロジカルで完璧なサッカー」が叩きのめす。どちらが勝ち、どちらが負けても常に名勝負だったように思う。

楽しかった。本当に楽しかった。
そして、ナショナルダービーにおいて不可欠な要素が、当時の鹿島磐田には十二分に備わっていた。それは対戦頻度。96年から02年まで、このたった2クラブがリーグの覇権を分け合うわけだが、分け合ったのはリーグ戦だけじゃない。天皇杯こそ直接対決はない(はず?だ)が、当然のようにチャンピオンシップ、ナビスコカップ、そしてときにはゼロックススーパーカップと、とにかく直接対決が多かった。一時期は、TVをつけてJリーグがやってるなーと思ったら「またこのカードか!」「この人たちはいったい年間何試合やるんだ!」と思うほどに、毎度毎度このカードだった記憶がある。それもそのはずで、11月になるとナビスコカップがあり、11月下旬になればリーグ戦も終盤になるため、TV放映も増える。そこでこのダービーがあれば当然放送される。そして2ステージ制であればチャンピオンシップでこのカードの試合が必ず2試合放送される。で、片方が天皇杯で勝てば、翌年のゼロックススーパーカップでまた見ることになる(99年)。そのうえ、両クラブに代表スタメンがたくさんいたのだから、「なんだかずーっとこの選手たちを見ているような気がする」という錯覚もおこって当然で、それぐらいの頻度だった。

僕は、ナショナルダービーというのは、こうでなくてはならないと思うのだ。
ただ強いだけじゃない。ただの一時だけじゃない。お互いに力があり、意識しすぎるほど意識しあい、因縁を感じ、その実力ゆえに何度も何度も直接対決を繰り返す。そして、その戦いに両クラブのサポーターだけでなく、日本サッカーファンのすべてハラハラドキドキ、ときに(ある意味部外者であるにもかかわらず)キリキリしてしまうような、そんな戦い。それが、ナショナルダービーであり、あの当時の鹿島vs磐田は、世界に誇れる「日本サッカーのナショナルダービー」だったと思っている。

G大阪vs浦和がナショナルダービーではなかったなんて言うつもりはない。鹿島vs磐田ができ過ぎだったのであって、青の色がだいぶ違うG大阪と浦和の、別の赤と青の戦いもじゅうぶんにナショナルダービーだったと思う。でも、それは当時の話であって、いま、彼らが「宿敵」と呼ばれることにはどうしても違和感を感じてしまう。

他クラブも含め、7年の戦いを演じた鹿島vs磐田のようになれとは言わない。ハードルが高すぎる。けれども、だからといって、"ナショナルダービーを起点とする「宿敵」"という言葉は、そう簡単に、軽々しく使って良い言葉だとは思わないのだ。この言葉は、国を代表する、サッカーの楽しみのすべてが詰まったような、国中のサッカーファンを魅了するカードにのみ、使ってほしい。

V川崎vs横浜MやG大阪vs浦和のような、そして、そして、そして、鹿島vs磐田のような、夢のある、ドキドキするナショナルダービーが存在しなくなって寂しい。でも、いつかまた、僕らのJリーグにそんな関係が誕生することを夢見ながら、今年もJリーグを見ようと思う。

いつかまた、きっと現れてくれると信じている。

熱く、心躍るようなナショナルダービーが見れることを。


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