センターサークルのその向こう-サッカー小説-

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サッカーコラム

高校サッカー選手権も終わったので、過去20大会を振り返ってみるよ-その3-

高校サッカーの過去20大会振りかえってます。

その2はこちら。「高校サッカー選手権も終わったので、過去20大会を振り返ってみるよ-その2-

第83回(2004年度)

現在の日本代表に欠かせない選手やJリーグで主力として活躍する選手が数多く出場した大会である。ザキオカこと岡崎慎司、長友佑都、城後(後に福岡)、興梠(後に鹿島)、岩下敬輔(後に清水)、赤星(後に浦和)、渡辺広大(後に仙台)などなど。
なのであるが、この大会は間違いなく本田△こと本田圭佑の大会だろう
いや、最終的に本田を擁する星稜はベスト4で姿を消してしまう。優勝はしてないどころか決勝の舞台にも立てていないのだ。

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しかしそれでも、この大会は本田圭佑の大会だったと思う。
田原、大久保、平山と大会NO.1注目選手にストライカー系が続いていたころに、久々に表れた「純粋司令塔型の強烈な選手」だった。さらに、高校サッカーにおける司令塔型の選手というのは中村俊輔を筆頭に、松井大輔など「華奢なファンタジスタ」が多かったのに対し、本田は圧倒的なフィジカルを武器に2~3人に囲まれてもそれを跳ね返し、ときにはテクニックでそのままかわすという本当に目ん玉が飛び出るようなプレーを披露していた。それはまるで中田英寿の再来のようで、とても期待させられた。そして、彼はその全サッカーファンの期待を裏切ることなく今日に至る。


第84回(2005年度)

この大会を語るのはとても簡単だ。
なぜなら、セクシーフットボール初お目見えの大会だからである。

その高校の名は滋賀県代表・野洲高校。
実際はこの3年前にも出場しているのだが「セクシーフットボール」が世を席捲したのはこの大会の方だろう(最終的に優勝するのだから当たり前だが)。

今でも覚えているのだが、はっきり言って当時名前すら良く知らなかった野洲が「なんか面白いサッカーをするらしい」という情報がまわってきて、どれほどのもんかと僕は準決勝をTVの前で迎えた。ただ相手が多々良学園という選手権常連、山口県の超名門校だったために「まあ、さすがに負けるだろう」と思っていた。当時、そう思っていたサッカーファンは多かっただろうと思う。そんなサッカーファンを文字通りTVにくぎ付けにしたのが野洲だった。

面白い
面白すぎる。
なんだこのサッカーは。

「圧倒的なテクニックやパスワークを駆使した魅力的なサッカー」など、これまでにもいくらでもあった。サッカー王国静岡の「キヨショウ」こと清水商業や、日本高校サッカー史に燦然と輝く「帝京」もその部類に入る。しかし、それらとは一線を画すサッカーが、コンテンツがそこにあった。

当時の僕のブログから引用する。

確かに、かなり技術のある選手を並べている。そして、その技術をピッチ上でいかんなく発揮し、サッカーの醍醐味ともいえるドリブルやパスを見せている。各誌(および各紙)も、著名人も、そしていくつか回ったブログでもその様なことを褒めていた。本当にうまい選手が多く、そのプレーの連続を披露するテクニカルなサッカー。

僕は、これは的を射ていないと思う。
野洲のサッカーの凄いところは、そこじゃない。
それは、今までのチームにもあった。
東福岡の三冠達成したチームの方が、きっと上記の様な表現は当てはまるんじゃないだろうか。ドリブル突破や目の覚めるようなスルーパスは、ある意味際立った能力を持つ選手なら出来る。個人では出来る選手は他にもいる。野洲のオリジナルじゃあない。


野洲が本当に優れているのはサッカーに対する意志や、その疎通力。浸透性。
野洲は別にドリブルはそこまで多くない。中盤では基本的にパスワークを基本として崩す。
ただ、勝負の局面に立ったとき、たとえそれが劣勢の状況でも「そこでいくか?!」という場面を突破する。だから。ドリブルが多く見えるのだと思う。(距離の長いドリブルが、他校より多いのは事実だが)

また、野洲のサッカーはヒールキックが異常に多い。これが本当に多い。
そのヒールキックを出す選手をマスコミは褒める。確かに凄い。
でも、本当に凄いのはそこじゃない。

決勝戦の決勝ゴールを見てもわかると思う。
野洲の選手にはヒールキックを蹴るときの違和感が一切無い。
ものの見事に、自然に出してみせる。
そしてもっと凄いのは、寸分たがわず"そこ"に味方が走りこんでいる。これが凄い。

ヒールキックなんて、技術的には実はそんなに難しくない。
ヒールキックは、技術よりも判断が難しい。
自分の背後へ、ほぼノールックで出すわけだから。
敵を欺けるが味方も欺いてしまう危険を多くはらむ。
もし、それを失敗すれば、前掛かりになっていた所を突かれ、
一気にカウンターをくらい即失点ということも大いにありうる。


野洲のサッカーが凄いのは「ヒールキックを出した意外性」ではなく
「あいつは必ずここに走りこんでいるはず」
「あいつは必ずあそこのスペースに敵を欺いてパスを出すはず」
という、この高い信頼性が凄いのだ。

イレブン全員が自分たちのサッカーを共通理解し、そして同じ絵を共有する。
絶対の自信を持ち、決して臆することなく味方を信じて走る。

局面でのドリブル突破も同じ。
囲まれても決してあわてず、果敢にチャレンジしていく。
味方もそれを指示し、そして信じ「あいつはあそこを突破してくる」と絶対の自信を持ってスペースへ走る。

一つのドリブル、一つのパスに意味がある。
そして、その意味を周りのイレブンすべてが感じ取っている。
ただ単にドリブルが美味いだけじゃない。
勝負できるところで果敢に挑み、それをイレブンが信じて次のプレーに動いている。
こんなサッカー、そうそうお目にかかれるものではない。
さらにこれを、バルセロナでもなくN-BOXのジュビロ磐田でもなく、たった3年間しか同じチームでいられない高校の部活が成し遂げていることに感動した。

あまりに感動した僕は「こうしちゃいられん」と思いたち、決勝戦を国立まで観に行った。そう、あの高校サッカーで伝説と語り継がれる野洲vs鹿児島実業の決勝を、僕は幸運にも生で観戦していたのだ。今でもあの判断は正しかったと思っている。


※2本目は↑と同じゴール

ここで余談を3ついれたい。
一つは、僕の記憶が正しければこの決勝には鹿児島実業のエースだった栫が出場していないはずである。彼は準決勝で累積警告をもらってしまい、決勝のピッチに立てなかったのだ。勝利はほぼ決まっている時間帯の無用なイエローカードだったと記憶しているのだが、彼は、その事実が突きつけられたのち、ピッチ上で泣き出してしまう。すべてのサッカー少年が憧れてやまない国立決勝の舞台に立てなくなってしまったからだ。見ていて非常に切なかったが、これもまた高校サッカーの醍醐味だと思う。
彼の涙は今でも忘れられない。

次の余談。
地元神奈川の代表は麻布台淵野辺。
僕はこの試合をニッパツ三ツ沢に観戦に行っていて、このブログにもその当時の記録を残しているのだが、そのとき目についた選手が二人いる。一人は小林悠(後に川崎F)。もう一人は太田宏介(後に横浜FC)。二人のことはこの辺でおっかけている。

ありがとう淵野辺イレブン。-高校サッカー選手権-

大田宏介

麻布台淵野辺は初戦のPKで敗退してしまい、残念なことに小林も太田もほとんど注目されることなく終わってしまう。けれども、小林はその後大学で、太田はプロの世界で不本意であろうポジションでもひたむきにがんばり、その後、数年たって二人は日本代表で同じピッチに立つことになる。
こういうのも高校サッカーを観ていると嬉しいなと思うところ。ありがたい。


で、最後の一個、触れておこう。
これは触れておかねばならない。
今大会から「応援マネージャー」というものが創設された。
男子部活のマネージャーといえば、誰しもがパッと同学年の女子生徒を思い浮かべるのが青春系鉄板キャスティングだと思うが、つまりそういうことである。いや、それを全国民が愛でることができるクラスの大物を抜擢する企画がこの「応援マネージャー」である。我ながら長い割に非常にわかりづらい。

簡単に言おう。現役女子高生タレントが「私は高校サッカー全体のマネージャーだよ♪」というテイで起用されるそんなよくわからないが素敵な企画である。

はっきり言って何の役に立っているのかわからん。
そもそも高校サッカーはJリーグ創設前からずっと大人気スポーツであり、今さら煽るものでもないし、煽ったところでたかが知れていると思うのだが、いったい何を考えてそんなミーハーな企画を思いついたのか。
また、これがまた反感を買いかねないのだが、大会の最中もさしてサッカーを勉強しているわけでもないし、大会後にサッカーを好きになっている様子はまるでない。サラッとピックアップすれば今大会(つまり初代マネージャー)が堀北真希。翌85回大会が新垣結衣、その次の86回大会が北乃きい。87回大会が逢沢りな。サッカーが好きだなんて聞いたこともないし、逢沢りなに至っては今や昼ドラで「(ローズヒップティーの)シュガーはいくつ?」や「役立たずの牝豚!」なんて時代錯誤甚だしい(だがそれがいい)セリフを吐いている始末である。なんだそれは。

だがしかし言わせてもらおう。
本当に毎年思うのだが、毎年毎年、絶妙なところをついてきやがる。
2005年(第84回大会)の堀北真希はまだ「花ざかり~」に出る2年も前である。3丁目の夕日に出たころだ。2006年(第85回大会)のガッキーは前年にドラゴン桜に出て「あのギャルなんだ?」と思われながら、2006年にやっと「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」に出て、一部から「マジかわいすぎる」と言われていたころだ。
近年にしても、前回大会(2014年度)の広瀬すずはまだLINEのCMに出ていたころで、この大会の直前に「JR SKISKI」に抜擢されることになる。ほとんどの人はまだ彼女が誰か知らない(ちなみにこの年、イメージソングを大原櫻子が担当し、「どっちがどっちだかわからん」とサッカーファンを別の意味で惑わすことになる)。

「これから売れるか売れないか微妙なところ」を絶妙についた人選が行われており、これに選ばれた女性タレントはほとんどがブレイクしている。どうやら相当な目を持った輩がいるのではないかと思う。だからサッカーとはもはや全然関係ないしたぶん広瀬すずはサッカー好きとか言わないだろうけど、それでもみんな注目するといい。いいんだ。かわいいは正義だ。

第85回(2006年度)【応援マネージャー:新垣結衣】

前回大会の野洲がその象徴ではあるものの、この大会のこそまさに「高校サッカー戦国時代」にふさわしい。なんせ、ベスト4の顔ぶれが盛岡商業、八千代、作陽、神村学園だ。誤解のないように書いておくが、盛岡商業も八千代も作陽も選手権常連校だ。しかし、失礼な表現になるが優勝やベスト4となれば話は別で、そこにはどうしたって実力差があった。そして、神村学園に至っては初出場であり、その神村学園はこれまで何度もここで語って来たあの超名門校である鹿児島実業を破っての選手権出場なのだ。

最終的に盛岡商業が優勝することになるのだが、前回大会までの優勝校と並べてみればわかる。

1983 帝京
1984 帝京, 島原商
1985 清水市商
1986 東海大一
1987 国見
1988 清水市商
1989 南宇和
1990 国見
1991 四日市中央工, 帝京
1992 国見
1993 清水市商
1994 市立船橋
1995 静岡学園, 鹿児島実
1996 市立船橋
1997 東福岡
1998 東福岡
1999 市立船橋
2000 国見
2001 国見
2002 市立船橋
2003 国見
2004 鹿児島実
2005 野洲
※Wikipediaから引用

ご覧の通り。
野洲が優勝する前までの約20年間、ほんの一握りの超強豪校のみが優勝旗を手にしてきたのだ。それが、この大会のベスト4には一校も見当たらない

これがここから毎年のように語られることになる「高校サッカーの均一化」だ。
これにはポジティブな面とネガティブな面がある。
ポジティブな面は、Jリーグの発足により全国のサッカー協会の足並みがそろい、トレセン制度の充実などなど、選手だけなく優秀な指導者が全国各地に育ったこと。それにより、一ヵ所に集中していた強豪校が全国に散らばる(=生まれる)ことになった。

だが一方で前述の通りネガティブな面もある。
それは「選手の均一化」が一つ。指導要綱がまとまり、日本全国で同じクオリティのサッカー教育が受けられるようになった反面、画一的なその教育により個性のある選手、とびぬけた選手が出てこなくなったと言われている。

また、「高校サッカー戦国時代」の要因はそれだけではない。
ここは若干矛盾するのだが、高校サッカーそのものの弱体化もおそらくこのころから始まっている。それは、Jクラブユースの台頭だ。サッカー教育のクオリティがあがったのは事実で、高校の部活にもそれが取り入れられているわけだが、ただ、その恩恵を最も受けるのはJクラブユースである。さすれば、どうしたって優秀な選手はクラブユースの方へ向いてしまう

ここ数年、高校選手権で活躍した選手がそのままJクラブに進むことが極端に減っているが、それは上記のようなことが原因となっている。ただ、その代わり大学サッカーがJクラブの疑似下部組織として発達し、高校までに芽が出なかった選手の受け皿だったり、18歳の世間知らずではなく22歳の大人になるまでの教育を受けた人間としてプロの門を叩けるという日本特有のメリットもあり、一概に今の状態が悪いとは言えない。

例によって話がそれたw
とにかく、この大会で、さらに盛岡商業が優勝したのはその象徴だと僕は思うのだ。また、この大会で作陽は監督の「野村」という名字と、その緻密に計算されたサッカーを評して「野村IDサッカー」などと呼ばれていたが、新たなサッカーが出てくるこれもまた高校サッカー戦国時代の象徴のように思う。

・・・と、まるで選手に触れずに終わろうとしてしまったので、今大会の選手に触れておくと、やはり記憶に残っているのは八千代の米倉(のちに千葉)と山崎(後に磐田)だろう。米倉は代表に入ったいまとは違い10番をつけ運動量と技術を両立させた八千代の絶対的な司令塔として君臨していた。これまでの日本には見られなかった新しいタイプの司令塔だったのだが、千葉で伸び悩み(というより、悪いチーム状態の中でも孤軍奮闘していた、と僕は思っている)、中央からサイドバックまで幅広くこなす選手になってしまった。すごく期待していて、もっと早く代表に入ると思っていたが、表舞台に出てこずに終わるかと思いきや、まさかガンバでサイドバックとして活躍して代表に入るとは夢にも思わなかった。わからないものです。

山崎の方はむしろ米倉より順調にキャリアを重ねていたのだが、ロンドン五輪予選で怪我をしてしまいその後、本大会に出られなかったのが惜しかった。いまでも活躍している選手だと思うので、今後に期待したい。

話の流れからするとここは八千代の動画を貼りたいところだが、しかし時代の流れの象徴ということで決勝、盛岡商業vs作陽の動画をはっておく。

第86回(2007年度)【応援マネージャー:北乃きい】

流通経済大柏、略して流経大柏のフィーバー大会である。

同時にそれは、日本の経済評論家の孫だろうか?と勘違いしそうな大前元紀(後に清水)のフィーバー大会でもある。高校3冠こそ逃すが2冠達成し、そして大前は史上初高校3大大会のすべてで得点王を獲得する

この大会は流経大柏が圧倒的な強さを最後まで見せつけるのだが(とはいえ途中でPK戦もいくつかあるのだが)この流経大柏はたしか、クラブユースに昇格できなかった選手たちを集めたチームだった。そして、ここまで読んでくれた方ならわかるだろうが、千葉県といえばあの市立船橋だったのである。その一強を崩して選手権にその流経大柏が出てきた。圧倒的な力を見せつけて優勝した。しかし、相手の藤枝東も含め決勝の舞台にたったメンバーのうちプロ入りが決まっていたのはこの大前だけだった

そう、やはり「高校サッカーからユースへ選手が流れている」「高校サッカーの均一化」はこの年にも着々と進んでいたのだ。

さて、話を大前に戻すが、それでも大前はやはり抜群だった。
上背は無いのに(というかむしろ小さい)、ゴム鞠のような身体を存分に生かしたトラップ、ドリブル、ダッシュ、ジャンプ、シュート、どれをとっても素晴らしい。ただ、このあと大前はどうなるんだろう?とずっと観てきているが、いまいちだと思っている。いや、いまだって清水でじゅうぶん活躍しているのだが、ポテンシャルからすればA代表のスタメン争いをしているべき選手だ。才能だけなら決して香川に見劣りしないと思っているのだが、いかんせん、この選手は試合後半になると足が止まる。そこさえなんとかなれば素晴らしいものを持っていると思うのだが・・・。

ちなみに決勝で相対した藤枝東の10番、河井陽介も大変良い選手で、運動量と華麗なテクニックを併せ持つ司令塔タイプだった。その後、彼は大学サッカーに進み大活躍後、清水に入団することになり、いまも彼は清水に所属している。そう、つまり、この大会は大前と河井の友情物語でもあるのだ。


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