センターサークルのその向こう-サッカー小説-

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コラム

人が動くのは理屈ではなく。

昨日、こんな超上から目線の文字通り「落書き」を書いたら

なんと、かんどーさんご本人からブクマでコメントいただいてしまった。

「ジモティーが超つまらない」かどうか以前の問題。|センターサークルのその向こう―サッカー小説―

主語として東京が、ジモティが、ではなくわたしが宮森さんに直接連絡すればよかった話ですよね。。記事にしたけれど、これらはすべて宮森さんに向けて書いたので違和感を感じたのかなと。言及ありがとうございます。

2016/03/29 10:39

あんな失礼極まりないウンコ記事に対してこんな優しいコメントをもらってしまって、我ながら人間の小ささを突きつけられてもう死にたいとか思ったけど頑張って生きるようにします。あたしがんばる。

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で、いただいたコメントにどこで変身じゃなかった返信すれば良いのかわからなかったので記事にしてみました。そして、そのいただいたコメントを見るに、僕がもともと感じていた違和感はそこじゃないんだよな、というのがありまして、じゃあ書いてみましょうと到りました。誰に説明してるんでしょうかワテクシは。

という風に書きだすと根が批判体質なのでまた批判的な文体になってしまってそれではかんどーさんと書いて聖母様と読む優しさの塊みたいな人に失礼なので、普段はあえて使わないようにしているですます調をタンスの一番下から引っ張り出してきてみました。

さて。かんどーさんと書いて聖母様と読むかんどーさんは(結局かんどーさんなんかい)

宮森さんに直接連絡すればよかった話ですよね。。

と書かれているのだけれど、いえ、そんなことは思いません。
もちろんご本人に直接連絡するのも良いと思いますが、公開ラブレターを送れるのもこのインターネット時代の良さだと思います。ご本人への直接連絡も、あえてブログにして公開するも、どちらもそれはそれで素敵なことじゃないでしょうか。

しかし気になったのは、「議論になってない」と僕は書きましたけど、それがそもそも

「記事にしたけれど、これらはすべて宮森さんに向けて書いたので違和感を感じたのかなと。」

ということならば、これはスタートラインとして「議論にすべきじゃない」話で、だとしたら「議論っぽくなっちゃってますよ」っていうのが、僕が感じた違和感です。要するに、こういうことです。

  • 「相手に反論したい」なら、議論になってないと思いますよ
  • 「相手に何かを促したい」なら、議論っぽくなっちゃってますよ

はい。
僕はてっきり文体が擁護方向でアリながら内容を見る限りは前者だと思っていたのですけど、かんどーさんと書いて聖母読むかんどーさん(しつこい)は後者だったと。であるならば、ちょっとアプローチが違うような気がします。

って書くと、これ「かんどーさんにそんなこと書きながらお前が反論してるじゃねぇか」という高性能なブーメランになっちゃうので、まず大前提を書いておきます。

僕は、どんなアプローチにせよ相手を思いやって何かをアウトプットしたかんどーさんの対応はいずれにしても素晴らしいと思いますし、あんな批判文体の記事に丁寧にコメントをくれることも、とてもすごいことだと思います。僕にはできないですね。
あと、これを読んでいる人はとてつもなく勘違いしてそうなので書いておくと、ぼくはかんどーさんと書いて聖母と読む(いい加減しつこいなと思った)とは一切の面識もないしこうやって直接的に何かをお伝えするのも(直接じゃないかw)初めてです。我ながらキモイなって思いました。お母さんゴメンナサイ。産んでくれたお母さんに謝ってみました。許してもらえると思います(何)。

というわけで、お前いい加減さっさと内容書けよって自分で思ったので書きます。いや、結局言いたいことはこれ一つなんですけどね。

「人は、理屈では動かない」

僕は、人が動くのはいつだって「感情」だと思っています。それは恐怖脅迫なのか、ワクワクドキドキという興奮なのかはわかりませんが、そのどちらにしてもやっぱり感情で、「ファクト」として何かを渡すならそれを発生させる何かでなければ人は動かないと思っています。恐怖脅迫ならプレッシャーがかかる機会を渡さないと動かないでしょうし、ワクワクドキドキなら利益や便益がそこにないと人は動かない。

話の対象を一つ飛ばして宮森さん(ちなみにこの方も僕はまったくネット上ですら面識ありませんw)の話になるけど、いくら田舎の人が視野狭窄で前進がなく地元の魅力に疎いと言っても、それが「正しい実態」だったとしても、そんなこと言ったってジモティーは動かないし、何も変わらない。そんな人に「お前らはダメだつまんねぇ奴だ東京出てこい」と言ったところで逆に反感を買うだけでしょうね(たぶんかんどーさんが本当に言いたいのはこれですよね)。

前の記事で書いたけど、べつに面白くなくたって、視野が狭くたって、相手に迷惑をかけなければそのまま地元に残って家族つくって幸せに生きて行く権利はジモティーにだってある。だんだんジモティーって書くの恥ずかしくなってきたけど続ける。

たしかに実は地元の人の方がその地元の魅力に気づいてないことは往々にしてあるんですけど、だとすればそれは「お前らはだからダメだ!」ではなく「みんなの住んでるところはやっぱり本当に素晴らしいんだよ!それがわかるためにも、一回東京に出て来てみない?」というコミュニケーションじゃないと、人は動かない。

「東京に出て来て、少しして地元に戻ると、本当にもっと楽しくなるよ!」
「あとね、その結果として地元をもっと盛り上げる方法も思いついたりして、うっかり今より儲かっちゃったりするかもよ!w」

とか、本人のメリットとか意欲になるアプローチをしないと、動いてくれないと思います。というか、相手を動かしたいなら、何よりもまず相手を好きにならないと(ま、そう演出してるだけでも良いのかもしれないけど)。いや、まあ上に書いたようなのはちょっとチープでw、本気で伝えるなら

「他の地方でね、こんな話があってさ、いますごい盛り上がってるんだよね。でさ、こっちの地元だって、俺は東京に出て来て初めて分かったんだけどすんげー良いところいっぱいあって、ぜんぜん負けてないと思うんだよ。でもそれ全国の人は知らなくてさ、東京に出て来てそれがなんかすっげ悔しくて。なんか、一緒にやらない?ほんと、ここってすごい良いところなんだよ。ぜんぜん他の県の人は知らないけどさ」

とか、そういうアプローチなんでしょうね。

その点で、かんどーさんの記事に僕は違和感を感じたんです。
もし、本当に言及先の記事を書いた彼に何かを伝えたいなら、「ジモティ―だって頑張ってるんだよ」とか「出たくたって出れない人もいるんだよ」という"そこ"に対する「反論」じゃないと思うんですね。実際、たしかに地元に残ってる人は地元愛も強いだろうし、出られない事情を抱えている人もいるんだと思います。というか、前の記事で書いた通り僕は以前九州の僻地に住んでいたので、そういう人が実際にいたのも見て来てます。でも、それを伝えたところで・・・?だと思うんですよね。

そういう意味で、僕は宮森さんの言うこともよくわかります。
いや、ほんと、実際視野狭窄でつまんないことをすげー最高!みたいに盛り上がってる人いますよねw。見てて「おいおい・・・」って思う気持ちもわかります。なんでしょうね、こういう価値観の話になるからわかりづらくて、あれですね、巨大なイオンにみんな集まっちゃって、流行の先端にいるべき10代20代の若者までもが「イオンイケてる」みたいになってる姿が、きっとね、あれでね、そういうことなんですよね(笑)

それを嘲笑するのも、一つの価値観なんで(実際、渋谷や原宿の方が栄えてるのは紛れもない事実だし)、勝手にやればいいと思うんですけど、ただね、本当に地元のことを思うなら、嘲笑しちゃダメなんですよね。嘲笑したって何も変わらないから。

さっきの話をなぞると「イオンよりすっごいのあるから、来てみない?」となるんでしょうけど、たぶん実態はそれでもダメで(批判になっちゃってるから)、もうそこは何も言わずに「ねぇねぇ、一回こっちに遊びにおいでよ!なんでって?俺が寂しいからに決まってんだろ!(笑)案内するからさー、俺寂しいからさー、遊びに来てよー、ねぇーねぇー。来てくれないと明日と明後日と来週も言うから!」って言って、まず連れ出すことなんでしょうね。そんで上京してくれたら、そこで都会の面白さをこれでもかと体験してもらって、そして最後に「でもさ、やっぱり地元っていいよね」に持っていくんでしょうね。

もし僕が、あの記事に言及し「こうしようよ!」というなら、こういう書き方になると思います。

人は理屈じゃ動かないと思うんです。
そして、僕はいまあえて「正論」ではなく「理屈」と書いてます。よく「人は正論では動かない」と言いますが、僕はそれはおかしいと思っていて、動かない時点でそれは「正しい論理」ではないのだから、正論じゃないだろうって思うんですよね。相手を動かす正しい論理があるとしたら、そこには間違いなく「感情」が含まれているべきです。

そして、そのあるべき「感情」が欠如した論理のことを、僕は「理屈」と呼んでいます。「痩せたいならチョコレート食べちゃダメだろ」って、そんなのは誰でもわかっている話で理屈でしかないんだと思います。「痩せたいならチョコレート食べちゃダメなんだけど、食べたくなっちゃうよね。チョコレートの袋に太った自分の写真を貼り付けるようにしたらどうだろう?」が正論なんだと思うんですよ。

だから、かんどーさんの記事といただいたコメントに対して僕からお返事するとしたら、「そこを反論はしない方がいいんじゃないでしょうか?」「何かを伝えたいなら、まずは論旨を認めるところから入る方がベターじゃないでしょうか?」って思ったんですよね。

もちろん、繰返しになるけどそもそもとして相手に何かを伝えようとして書かれたことはとても素晴らしいことだと思います。そして、こんな(あんな?)僕の反論記事に丁寧にコメントいただいて本当にありがとうございます。そして、かんどーさんが書いている「地元に残っている人も素敵だよ!」っていうのも、その通りだと思います。

田舎には、田舎の良さがあるっていつも思ってます。
極端な話、田舎の人は「ここには何もない」って言うんですけど、僕からすれば「何もないっていうものがあるじゃないか!」って思います。何にもないから、空が広いんだもん。あんなに広い空、東京じゃ観れないですよね。

だから、僕は、かんどーさんへのお返事として、一個前の記事は反論でしたけど、今回は「きっとかんどーさんはこういうことが伝えたいんだろうな」と思って、かんどーさんの何かのメリットになるといいなと思って書きました。

さて、最後にこれを書いておこうと思います。

最後になりましたが、超気持ち悪くてごめんなさい(´・ω・`)


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