そもそも日本サッカーは低迷しているのか?とか、日本が組織力で戦っているのなんて今に始まったことじゃないんだけどね(もう20年以上)とか、ツッコミどころは多いのだが、今回はそこは置いておく。論点がブレるので。
とりあえず一つ言えるのは、この20年、いや、それ以上のスパンで見るならば日本サッカーは世界でも稀に見る飛躍的な進歩を遂げた国で、低迷というのは当てはまらないと思う。
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上記のまとめでは、ハリルホジッチが日本代表の練習で、ゾーンディフェンス習得のために選手たちをロープで繋いだことについて、とあるイタリア人コーチが「恥辱だ」と表現し、本来それは小学生の段階でやることで、それを「日本人はサッカーにおける九九をやっていない」と比喩している。
※余談だが、前段ではプレー分析の専門家ポール・デウロンデルも世界的なフィジカル・コーチのレイモンド・フェルハイエンと出ていたのが、後段では「あるイタリア人コーチ」になっているのがちょっとモヤモヤする。
果たしてそうだろうか、と。
いや、おそらく、「イタリアサッカー人」にとって「九九すらやってないと捉えている」のは事実なのだろうと思う。しかし、本当に世界のサッカー先進国が、つまりスペインが、ドイツが、オランダが、ブラジルが、アルゼンチンが、ゾーンディフェンス習得のためにロープでつないだ練習をしているのだろうか。九九といえるほど当たり前なのだろうか。もし本当にそうなのであれば、ではなぜ歴代の日本代表監督はその練習をさせてこなかったのだろうか。オシムほどの知見と洞察力に優れた世界的な名将が、なぜそれを放置してきたのだろうか。もしこの現代において九九ができない人が算数を、いや日常生活を送ろうとしたら、まずは九九を覚えさせることからはじめるのではないだろうか。
僕は、どうもそれ(ロープの練習が世界的に当たり前)が怪しいと思っている。べつに世界中のサッカーに詳しいわけではないので真実はわからないが、しかし例えばバルサのカンテラがそんな練習を(身体にしみこませるほどに)徹底的に取り入れたというのはいまのところ聞いたことが無い(僕が見ていないだけかもしれないが)。
とある「日本随一の有識者」が話していたこと
そして、とある人のコメントから、僕はそれを確信している。
「昨年のブラジルワールドカップが終わって、日本のサッカーがどうだ、どうなるべきだとか、いろんなことをサッカー仲間と議論をしてる中で、ある有名なスペイン人のコーチと話してたら、『岡田、日本にはサッカーの型がないのか』って言うわけよ。『スペインにはあるのか』『いや、あるよ』と。」
文中に「岡田」とあるとおり、とある人とは、元日本代表監督の岡田武史、その人だ。
こと日本サッカーを考えるという点において、分析、実践、経験という3点から岡田監督は他を圧倒する知見を持つ、「日本で一番日本サッカーのことを考えられる人」だと思っている。
もちろん彼一人が素晴らしいわけでも、他の人の意見にだって信憑性が高いものはある。けれども、まず第一に彼の話に耳を傾けておいて間違いはないと思っている。
日本人監督でW杯予選を突破したのも、本戦を戦ったのも、そこでグループリーグを突破したのも、いまのところ彼だけなのだ。W杯に出場して20年が経つが、未だ、日本人監督としてあそこにアプローチし、戦場に立てた経験があるのは彼だけだ。彼にはさらにJリーグでの昇格経験、優勝経験と2連覇という経験まである。日本サッカー界のなかにはたくさんの「日本サッカーに尽力してきた方」がいるのだろうが、おそらく「最前線で戦ってきた方」の中では日本随一なのだろうと思う。
その岡田監督の上記のコメントには、続きがある。
このコメントは、彼がオーナーを務めているFC今治でのインタビュー記事だ。
「『岡田、日本にはサッカーの型がないのか』って言うわけよ。『スペインにはあるのか』『いや、あるよ』と。しっかりした型を持ってるっていう話から、どんどんどんどん盛り上がっていって。僕が以前からちょっと思ってたのは、サッカーっていうのはもちろん自己判断しなきゃいけないから、こうやれ、ああやれって監督が命令してサイン出すものじゃない。もちろんそうだけど、その原点にはやっぱりしっかりした型があってね。」
先進国には実はサッカーの「型」があるという。岡田監督は、そして多くの人もそう思うように「選手を型にはめるのは良くない」と思っていたらしいが、しかしそうではないと。
その流れとして、前述のまとめにもあった「プレティーンの子供たちは単純記憶能力が高い代わりに論理をきちんと理解できない。なのでこの世代は暗記させた方が効率が良い」ということにも言及されている。
「自己判断が大切ということでミーティングを選手だけでやったり、メンバーも選手に決めさせるのが理想だとかいうことになって。でも、小学生に自分たちでミーティングしろっていうのは無理で。型っていうと『型にはめる』ってみんなイメージするんだけど、そうじゃなくて、共通意識みたいなものを持って、それを飛び出していく。だから自由な発想とか驚くような発想っていうのは、自由なところから出ないと思うんだよ。」
そして、「型が必要だ」と考えた岡田監督はチャレンジに出る。
「じゃあ日本人に合った、日本人独特の、世界で日本人が勝つための型を作ってみようよっていう話になって、どこでやろうかなって考えた時に、Jのチームとかだと1回つぶさなきゃいけないわけよ。それはものすごいエネルギーかかるし、たまたま僕の先輩の関係でFC今治を持っておられたんで、四国リーグだけどちょっと手伝ったりもしてたから、10年かかっても1からできるそこでやってみようかと。」
そう、「岡田監督はなぜいまさらJFLにも満たないクラブのオーナーになんかなったんだ?」と多くの人が思ったのだろうと思うが、その答えは実は「日本人に合った型」をつくるためだったのだ。
日本サッカーに無いのは「知性」ではなく、「型」なんだと思う。イタリアにもスペインにもオランダにもそれがあるから、そして日本にそれが無いから、自国で当たり前となっている部分が無いことに対して「恥辱」と表現したのだろうと思う。つまり、おそらく国が変われば指摘する部分も変わるのではないかと思う。要するに守備戦術を重視するイタリアのコーチだったから「ロープを使って練習すること」を「小学生がやることだ」と言ったのだろうと思うのだ。イタリアサッカーの「型」に照らし合わせればそう見えるのだろう。
だから、相手がオランダ人コーチだったらそれはまた違ったのだろうし、前述のまとめのコメントにある「オランダじゃ小学生の時点で「サッカーとは仲間のミスをフォローするスポーツ」と叩き込まれるらしい」というのも、なるほど攻撃的サッカーを好むとてもオランダらしい話だ。
同様に日本チームと対戦した海外のチームが"最後に「でも『サッカー』をしてなかったね」と締めくくられる"というのもおそらく同じ話だろう。「サッカーをしていなかったね」というのは、その国にとって『サッカー』と捉えているプレーをしていなかったということなのだろう。それはたぶんイタリアとオランダではだいぶ違うはずである。(「あんなのはサッカーじゃない」という揶揄はこれまでの歴史で何度も繰り返されてきた)
型があるからこそ自由が生まれる
岡田監督自身もコメントしているが、型があるからこそ自由が生まれる。
いや、そもそも、自由というものは制限の中かから生まれる。型とか枠とかそういう制限があるからこそ、「その外」という発想が生まれるのだ。また、これは「困ったときに立ち返る場所がある」という意味でも非常に強い組織を産む。チームがピンチになったとき、どこに立ち返るのか。サッカー先進国はそれぞれ違う「立ち返る場所」があるはずだが、特筆すべきは選手のDNAに組み込まれるレベルでそれがあるということだ。
いま攻めるのか、守るのか、そのチームの意識が常に統一されることが重要というのは以前から叫ばれていることであるが、チームを立ち上げるごとにそれが変わっていては、毎度毎度その約束事をつくり、思い出さなければいけない。おそらく今の日本代表はそのレベルなのだろう。
しかし、これは仕方のないことだ。
なんせ日本サッカーはプロリーグができてまだたったの20年ちょっとだ。100年近く歴史のあるプロリーグを持つ先進国に比べ、型が無いのなんか当たり前のことだ。型というのは、見た目の形状をつくるだけでは定着せず、何度ものW杯で栄光と苦杯を繰り返し受け続けてやっとできるものだから。ブラジル代表が今さら「選手個人のレベルで負けているから引いて守る」なんてことを常に選択するようなサッカーはしないだろう。
しかし、日本代表はそこがブレてしまう。一つの戦術で負ければ違う戦術へと世論が傾いてしまう。それが、歴史というものなのだろう。いや、そうやって「型」はできていくのだと思う。そういう意味では、高い組織力と敏捷性、心肺能力、ボール技術を生かして戦うというのはブレなくなってきている。日本サッカーの型が少しずつだが出来上がってきているのだろうと思うと、僕はむしろ現状にワクワクする。
最後に
まとめると、日本サッカーに足りないのは知性ではないし、世界中の誰もが知っている知識が無いバカだから弱いわけではない。型が無いんだ。「俺たちはこれがサッカーだと思っている」という型が無い。それは逆に言えば、どこかの国に「恥辱だ」と言われても、別のどこかの国からは「それがサッカーだ」と言ってもらえるように、欧州列強のすべてを聞き入れて惑わされるのではなく、きちんと先駆者の助言を取捨選択できるようになる、ということなのだろうと思う。
そして、これだけは言っておきたい。
僕は日本代表を自国の誇りだと思っているし、OBも含め、彼らをとても尊敬し、感謝もしている。2010南アフリカの歓喜だけでなく、ミランで10番を背負ってプレーしてくれるなんて夢のような話も、あのオランダに、イタリアにパスワークで圧倒できるなんて光景をリアルタイムで見られたことも、ドーハを見てきた世代からしたら夢のような時間を与えてもらっていると思っている。
だから、そんな彼らに苦言を呈することはあったとしても、「バカ」だとか「知能が低い」だなんて表現は絶対に使いたくない。W杯でどんな結果になろうとも、全力でファイトして、全人生をかけて僕らに夢や希望、ワクワクを与えてくれる彼らはヒーローであり、そして大切な仲間だ。
いまの夢を紡ぐ彼らに続く、すべての選手、関係者に感謝をしたい。ありがとう、本当にありがとう。ラモスがいたから、カズがいるから、あのとき、日本サッカーのすべてを背負って引っ張ってくれた彼らがいたから、いまW杯で戦えている。もちろん、彼らの前の選手も、後の選手も、すべて。
この世にサッカーがあって、彼らが僕らの代表で、本当によかった。
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