センターサークルのその向こう-サッカー小説-

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サッカーコラム

ザッケローニが犯したたった一つのミス。

早いもので、ブラジルW杯から2年の月日が経とうとしている。

我らが日本代表は現在、ロシアW杯に向けて順調に予選を勝ち上がり、9月から最終予選に臨む。きっと今回も無事に出場権を獲得してくれると信じて疑わないわけだが、そんなちょうど"ブラジルとロシアの真ん中"のいま、この本を読んだ。

残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日
飯尾 篤史
講談社
売り上げランキング: 10,082





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南アフリカW杯後、たった一試合の出場にとどまった中村憲剛が、その後ブラジルW杯を目指す4年間の道のりをインタビューや取材で丁寧に紡いだ書籍。当時の話や記録、記憶を臨場感たっぷりに綴ってくれているので、とても読みやすいし胸が熱くなる。

そして、ちょうどまったく同じ期間の話となるこちらも改めて読んだ。

通訳日記 ザックジャパン1397日の記録 (Sports Graphic Number PLUS)
矢野大輔
文藝春秋 (2014-11-27)
売り上げランキング: 20,572

おかげで、日本代表選出時やピッチに立った時、その逆の落選時の中村憲剛の心情と、ザッケローニの考えやそのとき日本代表で起きていたことをリンクさせながら読むことができた。この二冊を合わせて読むことを強くオススメしたい。


そして、この2冊を読んだおかげで、また思い出すことができた。いや、思い出してしまった。2年前の、とてもとても悔しく悲しかった記憶を。そして、僕はいまになってまた、本当に涙を流してしまった。とても強い期待をしていたW杯で僕らの青い戦士たちが無残に敗れ去ってしまったことと、そこに中村憲剛がいなかったことを。彼の心情を想像すると、歳が近いこともあって本当に苦しくなる。


ただ、想いはそれだけではない。
2冊の本を読み、改めて中村憲剛という人のサッカー選手という枠にとどまらない、人間性を含めた魅力と、そして日本代表に起こっていたことを知るにつれ、ある一つの想いがどんどん大きくなった。


「中村憲剛は、23人の一人として絶対に欠かしてはいけない選手だったのではないか」

ここに、とても乱暴なデータを提示する。


我らが日本代表が好成績を残したW杯といえば、2002日韓と2010南アフリカだろう。逆に、良い結果を残せなかったW杯といえば2006ドイツと2014ブラジルだということに多くの人は異論はないと思う。
さて、この4つの大会、明暗がくっきり分かれる二つのグループには、興味深い一つの共通点がある


それは「試合にほとんど出ない大ベテランの存在」


2002日韓には、中山雅史と秋田豊がいた。
2010南アフリカには、川口能活を筆頭に、中村俊輔、楢崎正剛がいた。
とくに、大会直前まで絶対的なレギュラーであり中心メンバーだった中村俊輔の献身的な対応はとても重要だったと思う。

一方で、2006ドイツにはそんなメンバーがいなかった。そしてチームが崩壊したと言われている。それを経て、チームが一丸となることが重要だと感じたメンバーが2010南アフリカで献身的な対応をしてくれたのだから、やはり歴史を重ねるというのはサッカーにおいても大事なことなのだろう。

その流れは2014ブラジルにも引き継がれ、全員が一丸となることが重要であると認識し、その証拠に頻繁に選手のみのミーティングが開かれている。そして、大ベテランというならば遠藤保仁こそ年齢的にも経験的にもそれにあたり、チーム内でも絶大な信頼を得ている選手だった。つまり大ベテランがいなかったわけではないし、2006ドイツのようにチームが崩壊したわけでもない

しかし、遠藤は「試合にほとんど出ない大ベテラン」ではない。大会前の約半年の期間でスタメンからスーパーサブに変わってはいたものの、依然として大きな戦力として捉えられていた。その経緯は、チームの根幹から変えるために本当に直前に、さらに自身のパフォーマンスも落としていた2010南アフリカの中村俊輔とはだいぶ違うものだ。

「通訳日記」を読むとよくわかるのだが、おそらくまだサッカーの歴史の浅い日本には、メンタルを保てる何かが必要なのだろうと思う。それは、幾度もザッケローニが選手たちに試合の入り方、メンタルの欠落で叱咤を繰り返していたことからもわかる。何度も「どうしてあんな試合をしたんだ」とザッケローニは、プレーのミスよりもそれを幾度となく指摘している

僕はそれを懸念して、大会前にこれを書いた。

そのなかで、こう書いている。

でも、それでも僕は求めてしまう。
日本代表がブラジルの地で窮地に陥ってしまうのではないかという不安と、僕らの左利きの天才がそれを救ってくれるのではないかという期待が入り混じる。

香川が腰に手をあて下を向き、本田が怒鳴り、長谷部が険しい表情になったとき、センターラインのその先、タッチライン上にNo.25の青いユニフォームを着た彼が立ってくれていたら、これほど頼もしいことはない。

本当にそうなるかはわからない。
でも、いざというときにそういう絵が想像できるだけでも、僕はホッとする。
そしてそれ以上に、その絵に心が躍る。


「お前ら、下を向くな。行くぞ」

彼は立ち姿だけで、そんなメッセージを、
ピッチの戦友と、スタジアムの仲間と、地球の反対側にいるサポーターに届けてくれそうな気がして。

残念ながら、妄想のはずだった「香川が腰に手をあて下を向き、本田が怒鳴り、長谷部が険しい表情になったとき」は本当に訪れてしまった。あのとき、もし俊輔がいてくれたら、もしまた南アフリカのときと同じように、俊輔が選手を励まし、ガス抜きをしたり、アドバイスを与えられていたら、もしかしたら結果はもう少し違うものになっていたんじゃないかと思っている。

とはいえ、中村俊輔が代表に復帰するというのは2年前の当時でも現実的ではなかっただろう。しかし、2冊の本を読めば読むほど、こう思ってしまった。


中村憲剛には、それができた。



これは仮説の域を出ない話だが、それでも僕は絶対にそうだと信じて疑わない。ザッケローニに「真のプロフェッショナルだ」と言わしめた中村憲剛の人間性は、2010南アフリカの時点でも、あの本田圭佑に「点を取ったら、ベンチに来いよ」と約束させ、実際に実現し、日本代表により一層の一体感を生み出した。

そして、2年前の当時、中村憲剛には多くの出番は期待できない状況だった。なぜなら遠藤保仁がサブにまわったからだ。中村憲剛が試合に出るとすればそれは本田圭佑とは違う役割で、まるでボランチのように振る舞うトップ下として、つまりパスワークを活性化させるためであり、それは遠藤保仁がスタメンでピッチに立っている、もしくは全く出場しないことが前提となる。遠藤をスーパーサブとして使う以上、彼が投入されるときは「パスワークを活性化させるため」だからだ。その時点で中村憲剛は不要となってしまう

しかし、たとえ出番がほとんどゼロに近いほどに限られたとしても、むしろそういう大ベテランこそが必要だと思うのだ
それが、遠藤ではその役回りに適さないと思う理由で、頻繁に試合に出るメンバーを相手に、控えにまわりストレスをためているメンバーは愚痴を吐くことはできないから。そんなことをすればただのイヤミになってしまうし、ピッチに立つ選手に余計な気を使わせてしまう。「なかなかピッチに立てないけど常に全力で取り組んでいる大ベテラン」が必要なんだ。

中山も秋田も、川口能活もそれに当てはまる。
2010南アフリカ大会中、実際に多くの選手が川口の部屋を訪れ、悩みや愚痴を吐いていたらしい(中村憲剛もその一人)。
2002日韓では秋田が、試合に出れずストレスをためていた小笠原に、大会期間中に行われていた大学生との練習試合を、本番さながらのグループリーグに見立てることで「よーし、ここ勝つよー、ここで勝手予選突破決めちゃうよ」なんて言うことでガス抜きやモチベーションアップをさせていた。試合に出られない大ベテランには、試合に出なくてもチームに貢献できる、そういう偉大な能力があるのだ

一説には、ザッケローニはキャプテンの長谷部と親密になり過ぎた、頼りにし過ぎた、そのために長谷部の負担が増し、また監督と選手という一線を越え、チームのコントロール力を減退させてしまった、なんて話もあったが、それも、中村憲剛のような経験ある大ベテランがいれば解決できたのかもしれない。キャプテンとしての苦悩を、中村憲剛なら和らげることができたはずだ
そして、いまいちフィットできなかった大久保をフィットさせることも、中村憲剛にはできただろう。


だから、いまなお悔しくてしょうがない。
敗因を一つに求めるのはとても危険だし、そもそも、もっとたくさんの原因があったろうと思う。それでも、たった一つ、中村憲剛を日本に置いていくという判断さえしなければ、日本代表はもっと違った結果を残したのではないかと思う。憲剛がいれば、香川も、長谷部も、本田も、大久保も、みんなが生き生きと「自分たちのサッカー」ができたのではないかと、本当に強く思う。


そして、僕は強く期待する。
遠藤保仁でも、中村俊輔でも、中村憲剛でもいい。
2年後に彼らがまだJ1でプレーができているのなら、第一線でプレーができているのなら、本大会に連れて行って欲しい。きっと、必ず日本代表のピンチを防いでくれる。

彼らは、やっぱり日本の宝だ。





あとがき

ちなみに、結果の出なかった大会に1998フランスを入れてないのは、初出場ということもあるが「あれが最高の結果だった」と思うから。

それは、これを読んでくれればわかる。

6月の軌跡―'98フランスW杯日本代表39人全証言 (文春文庫)
増島 みどり
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後に2010年に華々しい結果を残すことになる岡田監督だが、「とにかく考えて考えて考え抜く」という姿勢はこの1998年も変わらない。本当にあらゆることを考え、相手を研究し、もてる策を展開し、最高の結果を導き出すために腐心している。そして、2006や2014と最も違うのは、その、岡田監督がやろうとしていたサッカーが1998フランスではほとんどの場面で出来ていたというところだ。日本代表は初出場にも関わらず世界から一定の評価を得るほどに善戦を繰り広げたが、あれこそ岡田監督の真骨頂であり、逆に言えば最高の展開をもってしても、あの当時の日本代表では(運がもう少し味方してくれない限り)限界だったのだろうと思う。
(読んでもらえばわかるが、本当に紙一重、あと一歩だったのがわかる)


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