センターサークルのその向こう-サッカー小説-

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コラム

"メシを残したって別にいいだろ"に対する反論、それが、同調圧力のもとなんだよね。

はてな匿名ダイアリーにこんな記事があがっていた。

お行儀の悪い奴だなぁと思ったけど、それ以上にブコメの反応の方が気になった。

批判されるのはしょうがないが、「悪」と断定している人が多いことがどうも気になる。(もちろんそうじゃないブコメもそれなりにあったけど)

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はっきり言って、増田は一ミクロも「悪くない」。

増田が増田の権利の範疇でやるもので、それに文句を言われる筋合いは何人(ナンビト)たりとも無い。

この基本線を守ることが「相手を尊重すること」の大前提なのだが、これが不得手な人が結構いる

そもそも、これが悪いというならば、じゃあいったいどこまでは許容されるのか。ごはん粒ひとつ残すのは許されるのか、他者から悪者扱いされてしかるべきなのか。

こんなのは完全に程度問題で、線引きなどできないしできたとしてもそんなものは個人の価値観の範疇でしかない

そういうとき、個人の価値観を超えて強制的に相手を断罪できるラインが"ルール"であり"法律"であって、そういう意味では、「ルールさえ守っていれば何をやってもいい」というのは真実だ。これに異議を唱える時点でもうまっとうな大人ではない。

ルールの範疇であれば何をやってもいい。これは基本線であってどんな議論だってここを逸脱しちゃいけない。それを逸脱した議論のことを「同調圧力」といい、そしてそれが多いから日本人はディスカッションやディベートのスキルが無いと言われてしまう。

出されたご飯を残そうがたいらげようが、もらったプレゼントをありがたがろうが嫌がろうが、そんなものは当人の自由で誰にとやかく言われるものでもない。話はそこからスタートすべきで、好き嫌いと善悪を混同してはならない。きちんとそこを分けて話をすることこそが「相手の意見や人格を尊重する」ことであって、これができない大人が多すぎるし、そういう大人が子供に教育をするからこの国は同町圧力が激しくなっていく。

マナーというのがその最たる例で、マナーというのは他人に押し付けるものではない。あくまでも自分の行動指針の話であって、価値観も文化も、そして何よりも環境が違う相手に押し付けるものではない。ご老人は大事にすべきだが、全員が年配の方に席を譲らなきゃいけないわけじゃない。その人はひどく疲れていたり落ち込んでいたのかもしれないし、病気なのかもしれない。

相手のことがわからないのに、自分の行動指針に当てはめて相手を断罪するのはとても愚かでおかしな行為だ。そんなのは大人とは言えないだろう。そういう、周りと自分が違うことがわからないまま、「相手は自分の知らない環境で生きている」ということがわからないまま歳を重ねてきた人のことを「老害」と呼ぶ。

はっきり言うが、僕は増田のような奴は嫌いだ。友達にはしたくないし、知り合いでも軽蔑してみるだろう。それは僕の自由だ。けれども、それは価値観の範疇を出ないものであって、増田が悪であると断罪される世の中であってはいけない。そうしたいなら、法律をそうつくればいい。

多様な人間が生きるというのはそういうことであって、自分の価値観では理解できないが、法律やルールという範疇の中で生きていくからこそ成熟な大人というものだろう。

ブコメでその範疇を飛び越えて、「悪」としているようなコメントを書いている人はみんな未熟者だと思う。


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