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コラム

【シン・ゴジラレビュー】"ゴジラはB級映画である"と自覚した東宝の逆襲(2/2)

長いので2記事にわけました。前編はこちら。

【シン・ゴジラレビュー】"ゴジラはB級映画である"と自覚した東宝の逆襲(1/2)

ゴジラvsデストロイア(1995年)

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平成ゴジラシリーズの完結編。
この作品は、"ゴジラが死ぬ"という大変重い、趣き深いテーマを持っていて、さらに1954年公開の第1作『ゴジラ』へのオマージュも強い、興味深い作品なのだが(オキシジェン・デストロイヤーも話に出てくるし)、どうしてもそれを打ち消してしまうB級映画っぽさがある作品でもある。

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まず、もはやゴジラシリーズの常套手段となっている「役者の使いまわし」。大沢さやか(女優)はゴジラvsモスラにて「小美人」という大変印象に残りやすい役をやっていたのに、この作品では突然に超能力者として出てくる。「小美人は小さかったからそんなにスクリーンにはっきりと何度も映らないし大丈夫だろ」とでも思ったのだろうか、しかしもうゴジラファンはそんなことでいちいち驚かないのである。そんなもんで驚いてたらゴジラはみてられない。

そんな「役者の使いまわしなんてへっちゃらだぜ」というゴジラファンには、だからこそうれしい「過去作品のヒーロー」が再登場する。そう、あのまあまあイケメン高嶋が演じる「黒木翔」である。

※写真:http://p.twipple.jp/7wQztより7wQzt.jpg

※写真:http://p.twipple.jp/7wQztより7wQzt.jpg









いやちがうしー

これ兄貴のほうだしー

なんなの?どういうことなの?

※写真:http://nsthq.militaryblog.jp/d2014-04-30.htmlより2014y04m29d_151818946.jpgのサムネイル画像

※写真:http://nsthq.militaryblog.jp/d2014-04-30.htmlより2014y04m29d_151818946.jpgのサムネイル画像

こっちだろ?!高嶋兄弟のこっちの方だろ?!

なんで弟じゃなくて兄貴の方出してんだよ。

しかも、兄貴は兄貴で「ゴジラvsメカゴジラ」の主役としてすでに1992年に使ってるじゃんよ

wikipediaによると、「『ゴジラvsビオランテ』では高嶋政伸が演じていたが、スケジュールの都合がつかず実兄の政宏が演じている」らしいのだが、んなことあっていいのかYO!「同じ役者を違う配役で出演させる」にとどまらず、「同じ配役を兄弟に演じさせる」までやり、さらにそれをいっぺんに達成するとは、いったい何役つけてあがれば気が済むんでしょうか。

ちなみに兄貴の高嶋政宏の方の(vsメカゴジラでの)役名は「青木一馬」というんだが、もう黒木なんだか青木なんだか高嶋なんだか、ゴジラファンを翻弄させようとしているようにしか見えない。だがしかしそれでもついていくのがゴジラファンである。・・・・・・・・たぶん。

ゴジラ×メカゴジラ(2002)

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上記、「ゴジラvsデストロイア(1995年)」でゴジラシリーズは一旦幕を閉じることになり(まあゴジラ死んじゃったしね)それまでの全7作を「平成ゴジラシリーズ」と呼ぶ。そしてその後、1999年の「ゴジラ2000 ミレニアム」から始まるシリーズを「ミレニアムシリーズ」と呼ぶわけだが、その4作目がこの「ゴジラ×メカゴジラ」だ。

ゴジラシリーズとしては超久しぶりに女優を主演に迎えた作品である。その主役は釈由美子が演じているわけだが、なぜかこの主人公が誰よりもメカゴジラの操縦センスに長けていて、やたらめったら格闘にも強いというとてもアニメな設定である。

1992がのび太作品ならば、前述のとおりこのメカゴジラは「メカの中に人間が乗って操縦するなんて非現実的だしナンセンスだよ」とかいう感じの出木杉くん的作品である。設定の方も第1作で死んだゴジラの骨格を利用してメカゴジラをつくるという、ロボット工学だけでなく生物学まで取り入れた設定になっている。今回もまた約50年前の第1作以外はなかったことになっている設定だがそんなことはもう気にしない。ここまでくるともうストーリーが繋がっている方がむしろ驚いてしまう。

さて、そんなメカゴジラはさすが出木杉くん的メガホン(謎)。
今回は機動力もあり、めっちゃ早い。残像とか出る。思いっきり肉弾戦もやる。だいじょうぶか。骨格はともかく、その周りを繋ぎ止めているネジとかパイプとかそういうのはあくまで人間界で頑丈とされている程度のものではないのか。だいじょうぶなのか、という心配をよそにガッツンガッツンにプロレスをやるメカゴジラ。さすが、リモートコントロールだけのことはある

しかしこのメカゴジラ、なんとゴジラの雄叫びにDNAが反応したのか(もともと骨格は同種である先代ゴジラのものだから)、突然制御不能にになり暴走を始める。味方であるはずのメカゴジラが突如として街を破壊しだすのだが、正義の味方だと思っていた巨大ロボ的な奴がまるで本物のゴジラのように暴走しだすとか、内部電源が尽きるまで待つしかないとか、なんかどっかでとても似たようなお話を見たような気がしてならないわけである。

それもまたゴジラなのである(謎)

ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003)

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困ったときのモスラである

いやまあ、困ったかどうかはしらないが「いったい何回目のモスラだよ?」っていうぐらいのまたモスラである。っていうか、前々作が「ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃」だし。よーでるわーっていうか、モスラさんそろそろギャラアップしてもらってもいいと思います。

さて、この作品は前回メカゴジラのような「同じのじゃつまらないでしょ」なんていう愚策は行われず、ちゃんとまた同じメカゴジラが出てくる。うれしい。うれしいんだが、やっぱりゴジラシリーズの監督は自我を抑えきれないのか、メインパイロットの釈由美子をサクッとアメリカ留学させてしまうという暴挙に出る。おい!次回作にメインを残すっていう我慢はできないのかお前ら東宝は!なんなんだまったく。B級映画か。

そしてこの作品は、なんと今度の主役はパイロットではなく整備士という、「のび太さんも出木杉さんもやめてぇ!ドラちゃんを大事にして!」と言わんばかりのしずかちゃん的メガホン作品である

終始、ゴジラにやられてぶっ壊れそうなメカゴジラを「やめて!まだ無理よ!ドラちゃんはまだお休みが必要なの!」という感じで話が進んでいく作品であり、なんでそんな話にしたのかはさっぱりわからないが、とにかくそういう作品なのである。

であるからにして、最後はとうとう主人公がメカゴジラの内部から修理を試みるというしずかちゃんの看病魂ここに極まれり的なラストだけでなく、なんとメカゴジラから主人公にメッセージまで出だしてしまうというお花畑的な展開である。だが割とそれも嫌いじゃない自分はまあまあゴジラファンだと思う

ゴジラシリーズまとめとハリウッド版GODZILLA

というわけで、さすがに全作品レビューをしていると長くなる、とか言いながらすでにだいぶ長いが、ゴジラシリーズというのはこのように、愛すべきB級映画であり、リアリティなどかけらもない、冷静に見れば「アホかお前は」とメガホンでどつきたくなるような設定の映画なのだ。

そういう意味では、2014年のハリウッド版GODZILLAはとてもよくできている。あれは紛れもなく「日本のゴジラが大好きな監督がつくったゴジラ映画」である。ゴジラを神格化し、なかなか出さず、光線は吐くわ、おっせーわ、あれはスバラシイゴジラだった。一方で、1998年のローランド・エメリッヒ版GODZILLAが叩かれているのも致し方ない。足はえーわ、造形がまるでジュラシックパークだわ、光線はかねーわ、「あんなのただのトカゲじゃねーか」と言われてしまうのはそれゆえである。

これまでのゴジラシリーズとシン・ゴジラ

大変長らくお待たせしたが、ここでシン・ゴジラだ。

ここまで読んでくれたなら、いかにゴジラシリーズがB級映画だったかということがわかってもらえただろうと思うが、おそらく、実は東宝自身もその自覚がなかったのではないかと、僕は推測している。なぜなら、だからターミネーターを真似てみたり、どっかで見た暴走シーンを入れたりしているのだ。

東宝には、「ゴジラは世界に通用する我々の誇るべきブランドだ」というプライドがあったのだと思う。
いや、それ自体は間違いではないと思うのだがしかしそれはハリウッド映画とタイマンを張れるような代物ではない。あくまでもマニアが好きな、B級映画としての嗜好性が強いブランドだったはずなのだが、そこを勘違いしてしまった東宝は、できもしないハリウッドの要素を取り入れ、中途半端なCG作品を世に送り出し、世間から嘲笑の的として扱われてしまった。

ここからは推測に次ぐ推測だが、おそらく東宝は2014GODZILLAをみたとき、それに気づいたんじゃないだろうか。

「ああ、我々ではこの方向性ではハリウッドにはかなわない」

と。
たしかに、それほどに素晴らしい出来だった。あれは、出てくるのがガイコクジンであるだけで、中身は紛れもなく「ゴジラ」だったから。大怪獣の迫力満点の戦いは、その演出ではハリウッドには到底かなわない。そもそも予算が違いすぎる。

そう思ったとき、東宝は本気で「日本にしかつくれないゴジラ」というのを考えたのではないか。そしてそれを託す相手を、日本のSFアニメの最先端を走る、庵野秀明に選んだんじゃないだろうか。そうすることで、東宝は本気を出したんじゃないだろうかと思っている。それは、今回「制作委員会方式」をとらなかったことにも見て取れる。とにかく、庵野秀明が思う通りの「ゴジラ」を作ってほしいと、依頼をしたんだろうなと(実際はちょっと口出しして断られたらしいけど)。

だから、本当にゴジラシリーズが大好きだった人の中には、シン・ゴジラを受け入れられない人が結構いる。不思議な話に聞こえるだろうが、ここまで読んでもらえればその違和感もなくなるだろう。今回のゴジラはこれまでのゴジラとはまるで違う。お約束がいくつも捨てられているし、B級映画感がまるでない。ご都合主義もほとんどない。

ただ、それでもシン・ゴジラは紛れもなくゴジラシリーズの一つだと言える。
庵野秀明は間違いなくゴジラが好きだ。観ていればわかる。そこかしこに、過去作品へのオマージュや、知っている人ならわかる要素がふんだんに盛り込まれているから。

象徴的なシーンが一つある。

シン・ゴジラの後半に入ったあたり、国連軍がゴジラに対して熱核攻撃を強行すると通達したために、東京都や神奈川県の住民を集団疎開させろ、という指令が下る。現場は「2週間でそんなの無理だ」と猛反発し、「遠いアジアの国で起きていると思いやがって・・・」とつぶやくのだが、それに対し竹野内豊演じる赤坂がこう反論する。

「ここがニューヨークでも、彼らは同じ判断をするそうだ」

これは、たぶん「ゴジラ(1984)」のオマージュであり対比なのだろうと思う。
「ゴジラ(1984)」にも同じようなシーンがあるのだ。
同じようにゴジラが現れ、核ミサイルで迎撃すべきだという諸国に対して、首相がこう発言する。

「もし......あなた方の国、アメリカとソ連に、ゴジラが現れたら......その時あなた方は首都ワシントンやモスクワで、ためらわずに核兵器を使える勇気がありますか、と! ......両首脳は、納得してくれたよ。」

この辺に、シン・ゴジラの「本気」が表れていると思う。
いくらなんでも、それぐらいのこと(もしこれが自国だったら~)はアメリカだって考えているはずで、さすがにそれを言ったから踏みとどまったなんてエピソードを子供だましも良いところだ。しかしそれこそが、そのご都合主義こそがこれまでのゴジラシリーズだったのだが、「本気」を出した東宝と庵野秀明はそれをしなかった、ということなのだろう。

スクリーンで観られるうちに・・・

というわけで、シン・ゴジラという映画は「"ゴジラはB級映画である"と自覚した東宝が本気を出したゴジラ映画」なのだと、思っている。本当に素晴らしい。

日本だからこそできた、ハリウッド映画ともフランス映画とも違う、日本人の日本人による映画、その象徴的作品が「シン・ゴジラ」なのではないだろうか。

おそらく、この作品の魅力は自宅のモニターでは面白さが半減どころではないほど減退してしまうと思う。

シン・ゴジラはあのリアリティがあるからこそシン・ゴジラであり、そのためには「他の情報をシャットアウトしてその世界に入り込む」ことが必要だと思うから。

そして、だから何度みても面白いのだと思う。映画というよりは「一緒にあの騒動を体感する」という体験型のものに近いから。

まだ映画館でやっているみたいなので、観た人も観ていない人も、一生でもう何度もないはずなので、ぜひ上映している間に映画館にいきましょう。

たぶん、一生の宝になると思いますよ。

あれをスクリーンでみられるのは。


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