CS決勝第1戦のPKが波紋を呼んでいる。
評価としては真っ二つで、PK肯定派と否定派の主張は概ね以下のようなところかと思う。
- 【否定派】ポジション取りをしていた中であの程度の当たりをPKにするのはおかしい
- 【肯定派】「ボールにチャレンジしていない」という点でルール通りであり、その点において強く当たっているのだからPKは妥当
一見すると、ルールブックに則っている肯定派の方が正しいように見える。
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しかし、ぼくはその意見には懐疑的だ。
結論から言えば、あれはファウルを取るべきではなかったと思う。
そもそも審判の役割とは
盛んにルール、ルールブックを見ろと叫んでいる人たちがいるが、それはルール厨と言われるような考え方だと思う。
そのルールブックを参照すると、P.45にこのような記載がある。
2. 主審の決定
決定は、主審が競技規則および"サッカー競技の精神"に従ってその能力の最大を尽くして下し、適切な措置をとるために競技規則の枠組の範囲で与えられた裁量権を有する主審の見解に基づくものである。
サッカーにおいてルールブックをそのまま施行することは絶対じゃない。その前後にも書かれているが、主審の役目はあくまで「試合をコントロールすること」であり、杓子定規にルールを施行することではない。
そもそも、同ルールブックのP.88に
1. 直接フリーキック
競技者が次の反則のいずれかを不用意に、無謀に、または、過剰な力で犯したと主審が判断した場合、直接フリーキックが与えられる
という記載があるように、もともと主審の解釈によって笛を吹くことが前提となっているものであって、もともと客観的事実だけで判断ができるようなルールにはなっていない。もし本当にルールを絶対とするならば、「過剰な力」などという曖昧な表現は不適切で、「何G以上の衝撃を加えたら」みたいなものが必要になる(そしてそんなことをしていてはサッカーは成り立たない)。
審判の役割はやはり試合のコントロールであり、ルール(ブック)とはその審判の裁量の枠を表現したに過ぎない(もちろんその中で重要度は違うだろうけど)。もともとルールが絶対ではないのだ。ルールという裁量のなかでいかに公平に、いかに安全に、そしていかにエキサイティングに試合をコントロールするかが、本来の審判の役目だといえる。だからこそ「アドバンテージ」という、それこそサッカーの流れを読んだ主審の主観による判断もルールブックに取り込まれているのだろうし。
あのPK判定は決してルールに反してはいないし、むしろ則っている
ここで、もう一度PKの判定が下されたシーンを見てみよう。
鹿島の西が、浦和の興梠に対して身体をぶつけて倒したことによりファウルを取られているわけだが、これはルールブックに照らし合わせるとP.82の以下の項目に当たる。
競技者が次の反則のいずれかを犯した場合、直接フリーキックが与えられる:
- ボールを意図的に手または腕で扱う(ゴールキーパーが自分のペナルティーエリア内にあるボールを扱う場合を除く)。
- 相手競技者を押さえる。
- 身体的接触によって相手競技者を妨げる。
- 相手競技者につばを吐く。
このなかのとくに「身体的接触によって相手競技者を妨げる」に当たるはずだ。
この場合、論点は「興梠と西のどちらが先にボールの落下ポイント(と二人が思うポイント)に入っていたか」になるはずだ。なぜなら、どんなに相手の進行方向にいようと"そこ"に先にいた方が優先されるのがサッカーの原則だからだ(というかその時点でそれは"妨げた"のではなく、"もともといる場所に相手がつっこんできた"という話になるわけだが)。
この点、ちょっと意見が分かれそうで、しかしこのエントリの論点はそこではないので、ここはもう仮説として「鹿島の西が、浦和の興梠のプレーを"身体的接触によって妨げた"」ということにする。
そしてこの仮説を是とする場合、たしかに西はファウルを犯している。もとい、このプレーにファウル判定をしたとしても、ルールブック上は主審に否はない。たしかにこれはルールブックには反していない。"そういう意味では"正当なファウル判定といえるだろう。
それは試合を"コントロール"し、"公平"であり、"日本サッカーの未来"につながるジャッジだったのか
今回の本来の論点はここだと思っている。いや、信じて疑わない。前述のとおり、審判の役目はルールの絶対的執行ではない。ルールという裁量の中で権限を駆使し、試合をコントロールすることだ。そしてそれは、たった一つの試合だって積み重なれば我々日本サッカーの文化につながっていく。なぜなら、多くが主観だから。
さらにいえば、この試合は単なるJリーグの1試合ではなく、れっきとした日本一のクラブを決めるJリーグの象徴、日本サッカーの(日本代表と並ぶ)象徴となるべき試合だ。その影響力は「どこかの1節」とは比にならないものがあり、選手も審判も(ひいてはサポーターも)それを意識しなければならないと思う。
改めて整理しよう。論点は2つ。
- あのジャッジは日本サッカーの未来につながるジャッジだったといえるか
- あのジャッジは両チームに公平なジャッジだったといえるか
論点1 「あのジャッジは日本サッカーの未来につながるジャッジだったといえるか」
正直に申し上げて、僕はそうとは思えない。
ゴール前においてあの程度のポジション争いなど日常茶飯事だろう。まさか守備の発達と激しさで知られるセリエAであんな簡単に倒れたプレーを、PKに取るとは思えない。これは、あのシーンを見ただけで言っているわけではなく、ファウルを受けた方の興梠本人の言葉からもうかがい知れる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161129-01633850-gekisaka-socc
FW興梠慎三は、PA内でDF西大伍のファウルを誘ってPKを獲得。「FWとしては駆け引きの部分もあった」と振り返る。
(中略)
「そんなに激しいタックルでは、もちろんなかった」と認めた興梠だった
興梠自身ですらそれほど激しいタックルではなかったと認め、狙ってやっていた部分があることを認めているほどに、強い当たりではなかった。それは興梠の経験があればこそ成せる巧妙な駆け引きで、彼を批判したいとは思わない。しかし、「日本サッカーの文化を象徴すべき試合」において、そのような軽い倒れ方、軽い当たりに対してすぐにPKを取るようなことをしていて、本当にこの国は世界と伍して戦っていけるのだろうか?世界のDFと戦えるFWが育つのだろうか?僕には到底そうは思えない。
これは、"文化"だ。
絶対的な正しいとか間違いの話ではない。そういう国があってもいいし、日本サッカーがそういう風に進化すべき、クリーンなプレーを信条として強くなっていくべきという論ならばそれはそれで否定はしない(というより別途議論したい)。しかし、そこまで考えてのジャッジ、肯定派の発言なのかがわからない。僕にはそうは見えない。
論点2 「あのジャッジは両チームに公平なジャッジだったといえるか」
もし仮に、あのファウル判定をOKとした場合、次に出てくる疑問がこれだ。
あの判定は、ルールに従っているか否かはともかく、「当たりの強さ」でいえば「軽い方」で判定しているのは、さすがに多くの人の共通認識だと思っている。「それほど強い当たりではないが、立派な妨害だからファイルは妥当」ということだろう。
であるなら、疑問が一つ残る。
それは、後半7分の阿部のプレーだ。
鹿島の金崎が自陣で見事な受けから左サイドへ走り抜けたプレーだが、それを阿部のいわゆる「プロフェッショナルファウル」で止めたシーン。あえて見づらい、後ろからの動画があったのでそちらでも見てみてほしい。(こちらの方が阿部と金崎のタイミングがまるで合ってないのがよくわかる)
僕が浦和ファンなら阿部を頼もしく思うし、阿部のこの悪い流れになりそうなところを断ち切る戦術眼を褒め称える。いや、実際にこれはすごいプレーだと思う。あのまま金崎が突破していたらそのままビッグチャンスになっていた可能性は大いにあるし、得点にならずとも、そのビッグチャンスを迎えたことによって鹿島が戦いのリズムを得てしまうことは想像に難くない。その可能性を、たった一つのプロフェッショナルファウルで断ち切った阿部は、本当にすごい選手だと思う。
しかしあれはどう見てもボールに行くことを諦めた、明らかなレイトタックルだ。
金崎のスピードと身のこなしによって事なきを得たものの、あれだけスピードに乗った選手を斜め後ろから、しかもボールに届かないことを承知で足を出せば、一歩間違えば大惨事になっていた可能性もある。とてもとても危険なプレーだろう。あれが、完全に浦和陣内に入ったところでのファウルだったら、おそらく(故意であったことも含め)一発レッドだった可能性がある。
自陣だったこと、まだ一人浦和DFが残っていたことを踏まえればイエローが妥当なところだろう。しかし、家本主審はそのあと、「割と軽い当たり」のプレーを、この大一番で、ペナルティエリアの中でファウルを取っている。これはさすがに不公平ではないか。
試合をコントロールすべき責務がある主審ならば、この試合がどういう位置づけで、そして両者の展開を見れば、ペナルティエリア内でのファウルはことさら慎重にならなければならないし、これだけ拮抗しお互いに決定的なチャンスを創出できてないなかでのその判定が、どれほどの影響を及ぼすか、果たして西はそれほどまでにルールに反した行為をしたのかということを考えなければならないだろう。
ここで西のあのプレーをファウルとするならば、阿部のあの明らかな非紳士的行為、危険なプレーにはレッドを出していないとつじつまが合わないのではないかと思う。あれは、本当に危険なプレーだ。金崎の選手生命を奪う可能性だってあったはずだ。そしてそれを故意に、得点チャンスに準ずるであろうシーンに行ったことは大変重い罪として見てもおかしい話ではない。そして、これはきちんとルールブックにも記載がある。
P.88にこう書いてある。
著しく不正なプレー
相手競技者の安全を脅かすタックルまたは挑むこと、また過剰な力や粗暴な行為を加えた場合、著しく不正なプレーを犯したことで罰せられなければならない。いかなる競技者もボールに挑むときに、過剰な力や相手競技者の安全を脅かす方法で、相手競技者に対し片足もしくは両足を使って前、横、あるいは後ろから突進した場合、著しく不正なプレーを犯したことになる。
阿部のファウルはじゅうぶんにこの範疇におさまると解釈できるものであり、つまりここでレッドが出てもそれはおかしくない。
※厳密にはここには「警告」か「退場」かの記載はないが、その前段で「• 反則がフィールド上のどこであってもレッドカードで罰せられるものであるとき(例えば、著しく不正なプレー、乱暴な行為など)。」という記載がある。
誤解のないように再度書いておくが、僕は阿部のプレーが絶対にレッドであるべきと言いたいわけではない。そうではなく、西のボディコンタクトに対してあれだけ重い判定をしておきながら、(選手生命とは言わずとも)第2戦に向けて怪我を負う可能性もじゅうぶんにあり、明らかに故意で行われたと思われる「著しく不正なプレー」に対してはそれなりに(浦和の阿部に対しては)妥当だと思われる制裁しか与えないというのは、不公平ではないかと思うのだ。
だから、やはり、僕にはあの西のプレーがこの試合を決定づけるほどのファウルには見えない。あの程度のボディコンタクトでペナルティエリア内で行われたぐらいでPKになるようでは世界で戦えるとは思わないし、それでOKだったとしても、公平だったとは到底思えない。
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