浅田真央の引退に伴い、国民栄誉賞を、なんて声が上がっているらしい。
冗談じゃない(笑)
彼女は金メダルも取っていない、銀メダル止まりなのに?
もはやそんなこという人は子供なのかと思ってしまう。
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誤解の無いように書いておくが、浅田真央さんの才能、活躍、貢献に異論など一切ないし、一国民としていままで希望や感動を本当にありがとうという感謝しかない。
しかし国民栄誉賞となれば話は別だ。
アホも休み休み言えとすら思う。
これまでにない快挙ならばわかるが、荒川静香という偉大な先人がいるだろうに。
さらにタチが悪いのは、彼女こそ日本史上初の女子フィギュアシングルの金メダリスト。国際スケート連盟から「たった一人の力で女子フィギュアスケートを21世紀へと導いた」と言われたという伊藤みどりですらたどり着かなかった金メダルに、荒川静香という人は届いた人なのだ。この人に国民栄誉賞を渡さずに銀メダルにとどまった後進の選手に渡すというのは道理としておかしいだろう。
国民栄誉賞の基準とは
こういう話になると「国民栄誉賞の選定基準」という議題になる。
内閣府のサイトにはこのように記載がある。
「この表彰は、広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えることを目的とする。」
目的、とされているがその目的を達成するための賞だとすればこれを基準と捉えても良いだろう。
とても曖昧だが、この手のものはそれでいい。
逆にこれに明確に基準を設けると、公平性が失われる。
仮に三大会連続金メダルという基準だったとして、日本人がもとから強い柔道でそれを達成するのと、陸上男子100メートルで達成するのとでは全く難易度が違う。もし日本人で初めて男子100メートルで金メダルを取る選手が現れたら、きっと国民栄誉賞が検討されるであろうが「三大会連続金メダル」という基準にしてしまうと、検討の余地なく授与されないことになってしまう。
また、「三大会連続金メダル」のように明確な基準を設けると、逆に栄誉が下がる。なぜなら、その時点で国民栄誉賞は「ただの言い替え」でしかなくなるから。
だから、この手のものはやはり「権威あるものがある程度の枠の中で判断する」で良いのだ。だからこそ意味がある。
そして、今回の話で言えば、そんなことはどうでもいい。
基準などどうでもいい話だ。
本人の立場になって考えたのだろうか
問いたいのはここだ。
前述のとおり、浅田真央のまえに史上初の金メダルをとった荒川静香がいる。
浅田真央もそこを目指して本気で努力し、きっと、寝ても覚めてもそのことしか考えられなかったこともあるのだろう。
それでも、届かなかった。
ついに、届かなかった。
ソチ五輪でその願いが届かず、それでも続けた選手生活だったが、そのまま引退となってしまった。やりきった本人に悔いはないのかもしれないが、金メダルに届かなかったことに悔しさはあるだろう。いや、彼女のキャラクターなら国民のその期待に応えられなかったことこそに、自身に対してふがいない想いを抱いているかもしれない。
それでも、彼女の功績は色褪せない。浅田真央という人がどれだけがんばり、我々国民に夢や希望を与えてくれたことか、その功績は語り継がれるべきことだろう。
そんな彼女に対して、自身より上の成績を、自身より前に達成し、さらに挑めども挑めども届かなかったその頂に立った人を差し置いて国民栄誉賞が与えられるということが、彼女にどんな立場に立たせるかということが想像もできないのだろうか。
後日、いや、これからずっとスケート界の偉人たちが集まるたびに、金メダルをとった荒川静香も、世界フィギュアスケート殿堂入りした伊藤みどりもいるなかで、銀メダルにとどまった自分が「国民栄誉賞を受賞した偉人」として立たされる。
これがどれほど辛いことかわからない人は、バカだと思う。
そして、これがどれほど辛いことかわからない人は、自分自身が本気で何かに挑んだことがないのだろうと思う。
本気で挑んでいれば、わかるから。
自身が努力してきたことに対して、さらに優れた人がいるというのに、過大評価を形としてつけられる。これは捉え方によっては冷やかしやイヤミとすら取れる。
自分の褒めたい欲を抑えられない子供
結局、国民栄誉賞を!などと無責任に言い放ってる人は、「私の大好きな真央ちゃんががんばったんだから、それに見合う賞を与えて欲しい!」というある種の私利私欲でしかないことに気づいていない。
褒めたいなら、賞賛したいなら自分の力ですればいいものを「国民栄誉賞」などという人は他力本願な、他の権威にすがってなんとかしたいだけの人だろう。
そして、それは子供のすることだ。
浅田真央の功績は誰に咎められるものでもないし、誇るべきことだ。
しかし、それでも届かないものやことはある。それが厳しい実力の世界というもので、そして、評価というのはそれがすべてでもない。「記録には残らないが記憶に残る選手」というのは確実に存在して、そしてそれは、だからこそ良いものだったりもする。権威ある誰かや組織が記録として評価せずとも、人々に語り継がれることによって評価される偉人もいる。
そう、本当に浅田真央に対して敬意を評したいならそれこそ、国民栄誉賞なんて頼らずに、我々が、我々の力で語り継いで行けばいいのだ。それこそ「わかりやすい記録には残らなかったけど偉大な選手だった」と讃える、一般人やファンにしかできないことだろう。
「届かなかった」という傷をどこかに共有しながら「それでも浅田真央はすごかった、メダルや記録だけでは計れない輝きがあった」と、語り継いでいけるのが大人というもので、本人の立場に立つこともせず国民栄誉賞を!などと騒ぐのは子供のすることだ。
偉大なる先人たちがいて、さらに記録として自分より優れた人がいるなかで、浅田真央が国民栄誉賞をもらって喜ぶと本気で思っているんだろうか。
とんだアホだ。
最後に。
このエントリは、浅田真央さんが国民栄誉賞を受けることをなんら非難するものではありません。彼女自身が望むならば受け取ってもらいたいし、どんな結論をくだそうとも、浅田真央さんの意思を尊重し、尊敬します。
浅田真央さん、本当にお疲れ様でした。
そして本当に、ありがとうございました。
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