センターサークルのその向こう-サッカー小説-

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コラム

はあちゅうセクハラ暴露問題と日本サッカーの話。

深津さんという人ががこんなことを書いているのだが。

セクハラの構造問題が議論されるべきなのに、被害者同士の殴り合いで発散していく地獄|深津 貴之 (fladdict)|note

日本の#MeTooムーブメントが、妙な方向にドリフトし始めて、ちょっと残念な展開に。 はあちゅうさんの勇気あるセクハラ被害の告白で、日本の大企業の裏にあるセクハラ問題の闇についにメスが!...と思いきや、議論は思わぬ方向へ。はあちゅうさんの過去の言動が原因で、童貞炎上が発生し、大企業そっちのけで、はあちゅうさんに逆流する地獄絵図。 ...

完全に賛同するかと言われるとちょっと難しいが、個人的な感情としては概ね「そうだよなぁ」と思っていたら、ブコメで批判されまくってて笑ってしまった。

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深津さんの言っていることが正しいかどうか以前に、まるで議論がかみ合ってないというか反論が反論になってない・・・と思うので、深津さんの話を別の話に例えてみる。わかりやすくするために。

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といって、いきなりたとえ話ではなく内容の構造の話をしてしまおう。

「それはそれ、これはこれであって、なぜはあちゅうをたたいてはいけないのか意味不明」みたいな反論コメが多数ついているが、深津さんが言っているのはそのレイヤーの話ではない。論点の階層が一つずれている。

深津さんが言ってるのは"人に認められた権利"の話をしているのではなく"権利を行使した先の世界はそれでいいんだっけ?"と言っていて、「なんで叩いたらいけないのかわからん」は反論になってない。

深津さん「権利を行使してもいいけど、その結果として出たこの世界でいいんだっけ?」

ブコメ反論「なんで権利を行使したらいけないんだ!」

ということになっていて、ご覧のとおり反論が反論になっていない。

というわけでやっとたとえ話をしよう。

サッカークラブを育てる役目を持っているのは誰か

誰か、と言われればまずはクラブオーナー(経営者)であり、クラブスタッフだろう。彼らがこの役目から外れることはありえない。また、選手も重要なキーパーソンになり得るだろう。彼ら自身が活躍することの一番の目的はあくまで自身の成功のためであり、言葉を変えれば自己実現のためだろう。しかし、その活躍は自身の成功だけにとどまらない。彼ら選手のプレーの一つ一つが良い結果を引き起こし、クラブの経営を潤わせ、そして文化の一つにもなる。また、少なくない金額を投資してくれるスポンサーもまた、クラブを育ててくれている仲間だろう。

彼ら以外に、ひとり忘れてはならない存在がいる。
サポーターだ。

クラブの収益の大半を担うのはサポーターのチケットやグッズの購入費なので、そういう意味ではスポンサー的な役割も担っているわけだが、ここで言いたいのはそういう話ではない。

ここで、とある左利きのレジェンドのコメントを引用したい。

「日本のサポーター(要は代表とトリコロールのゴール裏)はずっと歌ってたりするじゃないですか?でもスコットランドの方は、ジーッと見てて、いいプレーとかいいシュートをした時だけ拍手して盛り上がって、で相手ボールでパスとか回してる時はずっとブーイングですよね」
スタジアムで叫ばずに何時叫ぶ より

"スコットランド"というフレーズで多くの人が誰のことかおわかりだろうと思うが、我らが天才:中村俊輔(現ジュビロ磐田)のコメントだ。

そう、サポーターはその姿勢やスタンスでクラブを育てている。

中村俊輔は(たしか)以前に同じような話でイタリアは守備で良いプレーをすると拍手が起きる、ということも言っていた。結果としてカテナチオができるのだろう。これは攻撃的であることを望むオランダやブラジルにも言えるだろう。

鹿島アントラーズと川崎フロンターレ

先日、とうとう"絶対に負けられない戦いを絶対に負ける"という汚名を返上した※川崎フロンターレであるが、彼らは本当に守備をかためようとしない。リードしているのだからさっさと守りを固め、横パスで時間を浪費させることでリスクを軽減すればいいものを、もう半ばアホなのかというほどにそれをやらない。2-0で勝っているのに終盤まで攻めて残り5分で2点取られて、ロスタイムで1点取り返すような忙しいサッカーをする。
※ちなみに個人的には返上したとは思っていない。あれは負けられない戦いではなく、勝って初めて挑戦権を得る戦いだった。

たとえば、彼らが来シーズンからパスサッカーを捨てラインを低めに形成しブロックをつくってショートカウンターを狙うようなサッカーをしたらサポーターはブーイングをするだろう。Jリーグにおいてはとくにフロンターレのサポーターは"楽しいサッカー"を求める傾向が強い。いや、楽しいサッカーをするフロンターレだからサポーターになったのだろう。勝てばなんでもいいわけではないのだ。

他方で、Jリーグにおける"面白いサッカーする族のなかで最もつまらないサッカーをする"鹿島アントラーズはだいぶ違う。決して縦ポンのリアクションサッカーではなく、きちんと中盤をつないで組み立てるタイプではあるが、基本的には何十種類かある"オーソドックス"を忠実に駆使する戦い方で、パスをつなぐなかでは決して華やかなサッカーではない。アントラーズのサポーターはおそらく楽しい/つまらないより先に「勝つこと」を求め、敗北する、タイトルが取れないことに最もストレスを感じるのだろう。

サッカークラブ、ひいてはその国のサッカー文化を育てるのはプレイヤーや関係者だけではない。彼らが持つポリシーから生み出されたコンテンツを受け取り、賞賛することでサポーターも参加しているのだ。

権利は行使することもできるが、同時に責任も発生する

逆に言えばJリーグも、日本代表も、どういう風に育てるかというのはサポーターの一言にかかっているともいえる。我々が一つのパスに拍手を送れば選手はそれを喜び、次も同じプレーをしようと努力する。逆に我々がJリーグの試合で簡単なボディコンタクトに対して条件反射的にブーイングをしていたら、世界に出たときにハリル大好き"デュエル"で戦えない日本代表になってしまうかもしれない。

選手のプレーというコンテンツに対して一喜一憂し、賞賛や批判をするというのは我々サポーターに認められた(そして求められてもいる)権利だ。自由に行使することができる。しかし、一つ一つは小さくともその自分のリアクションには「影響力」が存在しているということも覚えておくべきだろう。言ったことには少なからず責任が発生するという意味でもいいかもしれない。

深津さんが訴えていることはこれと同じことだと捉えている。
たしかに、はあちゅうさんの過去の発言は褒められたものではないし、自己矛盾してると捉えられても仕方のない部分もある。しかし、彼女が大きなリスクを取って実名でインタビューに答えたことは大変に素晴らしいことで、良くも悪くも世の中に強い影響力を持つ彼女だからできたことだ。

これを機に、明らかに弱者である個人ではなく、巨悪と表現して差し支えない「組織」に対して武器を手に入れられるかもしれない。しかし、ここではあちゅうさんへの攻撃を合わせて行ってしまうと、次に出る者がいなくなってしまう。簡単に言えば波状攻撃ができなくなってしまう。

「それはそれ、これはこれっていう話だろ」っていう人がたくさんいるようだが、こればっかりは「どちらかしかない」ということを自覚すべきだ。「叩く」か「叩かない」かしかない。なぜなら「はあちゅうさん」という対象は一人だから。

叩いている人は「サッカーで例えるんだったら、良いプレーには拍手を、悪いプレーにはブーイングをしているだけだろ」と反論するだろうが、いま起きていることはそうじゃない。はあちゅうさんが目の覚めるようなスーパープレーをしたというのに「いまのは良いプレーだがお前はダメだ」「良いプレーなのは認めるがお前は過去にトラップミスをしている」「おまえはあのとき不要なファウルでPKを与えたからダメなやつだ」とその場で言ってるようなもので、こうなれば、「もうスーパープレーなんか目指すのやめよう・・・。目立たないようにソツないプレーをしよう・・・」となってしまう。

アルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナはたしかにピッチ外でたびたび問題を起こす選手だった。しかし、彼がスーパープレーをするたびにスタジアムの、アルゼンチンの国民がやっきになって「だがお前はクズだ!」と言っていたら、彼は大成しなかったかもしれない。いや、それでもディエゴは神の子だったかもしれないが、その姿を見た子供たちやそのまた子供たちからメッシが生まれることはなかっただろう。(まあ、メッシはどちらかというとスペインが育てたような気もするが)

自分の反応一つ一つが、重要な一票だということを自覚しよう

よく、学校や企業など大勢が集まるときに、ガヤガヤがおさまらない時がある。あれは、一人一人の声は小さいのだがそれが数百人にもなると立派な騒音になることで起きている。そして一人一人は「私の声なんて小さなものだし」と思っていて、罪悪感を感じていない。

僕らの一言一言は、たった一つのコメントやツイートはたしかに微々たるものだけど、でも騒音を構成する小さなひとつであることは間違いない。賞賛も批判も騒音も、まちがいなく僕ら一人一人の反応によって形成されている。

人には好き嫌いを選ぶ権利も、意見を表明する権利もある。誰にも咎められるものではない。しかし、同時にそれは「世論を形成する一つ」であることをきちんと覚えておくべきだと思う。それが大人というものではなかろうか。

先日のウーマンラッシュアワーの漫才も、それを指摘しているのだと思う。

この期に及んではあちゅうさんを叩くなとは言わないし思わない。なんなら、僕もあまり好きではない人だ。でも、今回の行動は素晴らしいし、その後ろにいるたくさんの女性や弱者の背中を押せるなら、手放しで賞賛したい。はあちゅうさんはすばらしい。

僕と同じ意見を持てとは全く思わない。

それでも叩く人がいるのはしょうがないと思う。

しかし、それによる影響力までをちゃんと考えるべきだと思う。

考えられないとしたらそれは「当事者」であるか「幼稚」であるかのどちらかだと思う。


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