平山相太が引退を表明した。
平山相太、32歳で現役引退「度重なるケガのため...」古巣FC東京への思いも吐露 | Goal.com
ベガルタ仙台が26日、FW平山相太の現役引退を発表した。
シーズン終盤や終了直後ではなく、もう開幕まで一ヶ月というこのタイミングでの発表に驚いたがこのニュースによると、昨年末に契約更新までしていたらしい。
体力的な限界が来ていたり、もしくは契約先が見つからずに引退というならわかるが、クラブ側に契約の意思があり実際に更新したにも関わらず引退をするというのは、なんとも平山らしいといえば平山らしい。何が何でもサッカー選手でいたい、と思うほどの強い意志が無かったということだろう(それを批判したいわけではない)。そういう意味では、やはり平山は性格がFW向きではなかったのかもしれない。
そして、その性格的な部分をのぞけば、平山の引退によって一つの結論が出されたように思う。
おそらく、日本サッカーは長身ストライカを育てることができない。
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これは平山だけの結果を見て言っているわけではない。
田原豊、阿部祐太郎、そして平山相太。
いずれも超高校級という枠すら飛び越え、天才や怪物とうたわれた選手たちだ。そのいずれも、日本代表のエースになるどころか所属クラブすらパッとせずに引退をしている。
これほどの大器がその才能に著しく見合わない結末を迎えてしまっているのは、もはや偶然ではなく必然であり、日本サッカーにその力が無い、と結論づけてしまって良いのではないか。
「大迫がいるじゃないか」と言われるかもしれない。たしかにそのとおりで、彼はじゅうぶん"長身ストライカ"という定義に見合う選手だろう。ここで、選手タイプをはっきりしておきたい。田原や平山と大迫では同じ長身FWでも明らかにタイプが異なる、ということには異論はないだろう。田原や平山に比べて大迫は鈍足でもないし芸の幅が狭いわけでもない。ポストプレイを中心にドリブル、運動量、スピードと多彩な能力を誇る。
一方で(とくに)平山はそこまで多芸なタイプではない。足は遅いし、運動量を売りにするタイプでもない。そして、電柱よろしくポストプレイを売りにするタイプでもないはずだ。もちろん、彼らは長身で体格もあり、テクニックもあるゆえにポストプレイを得意とし、実際に求められてもいたし、求められてしかるべきでもある。しかし「育て方を間違えられた怪物」という記事で以下のように書いたとおり、
制空権を我が物にする身長も、柔らかいタッチも、彼には道具に過ぎない。そこから繰り出すポストプレーだって誤解を恐れずに言えば「道草」に過ぎないはずだ。
恵まれた体躯と柔らかいボールタッチ。しかし何より優れているのはそれらを駆使した「ゴールへのイマジネーション」だった。頭、左右両足のどこからでも点が取れる彼だからこそなし得たものだとも思う。
平山や田原は、ストライカとしての能力こそ誇るべきところで、彼はペナルティボックスの中でこそ圧倒的な輝きを見せるタイプなのだと考えている。
他に久保竜彦という獣がいたが、獣は育てられない。
いや、冗談を言いたいわけではなく、実際に久保の持っている資質というのは柔らかいタッチに豹のような柔らかくしなやかな筋肉という、アフリカ系の選手が持っているような資質があったからこそ大きくても動きが硬くならず、スムーズな体重移動ができる選手になった。あれは育てられるものではない。
逆に言えば、平山や田原はその体格を除けば、他の要素はじゅうぶんに理論的なメソッドで育てられるタイプだと思うのだ。長身だが、足元も抜群にうまく、頭・左右両足どこでも点が取れるというこのタイプは、幼少期からきちんと教育すれば決して手に入れられないタレントではないはずだ。
にもかかわらず、それが日本代表の常連になるまでには育てられない。
そこには日本サッカーが抱える構造的な欠陥があるように思う。
上にあげた「育て方を~」の記事でこう書いた。
しかし、彼を迎えいれた城福FC東京は、異なる選択をする。
あろうことか、彼に「左右に動きまわり前線のポストとして攻撃の起点となること」を求めた。時には、そのテクニックを見て「ボールのおさまりどころ」としてトップ下に入っていたこともあった。要は、平山を「ただのデカい奴」として扱ったわけだ。
"たられば"を語り出したらキリがないのはこの世界の常であるが、それにしても、僕はこの選択は「日本サッカー史に残る世紀の誤判断」だったと思っている。
平山にとってこれは大変に辛い環境だったように思うが、しかし、おそらく他のクラブに入団していても環境はそう変わらなかっただろう。日本サッカーはFWに点を取る以外の仕事を多量に求めるからだ。FWとはいえ守備をしたり中盤まで下がってゲームの組み立てに参加するというのは、日本のみならず世界のサッカーの潮流になっているが、日本はそれが殊更に強い。
それが間違っていると言いたいわけではなく、オシムにせよ岡田監督にせよ、高度な組織や戦術で戦うというのは今後もずっと日本サッカーの主流になるだろう。他スポーツを見てもわかるように、個人の運動能力が劣る日本人はやはり技巧や組織的な"工夫"を武器に戦うのが王道だ。
しかし、これは同時に「典型的なストライカ」をピッチに置けないことも意味する。最前線でドシッと構え、その圧倒的なスキルで点を取るようなゴールゲッターは、その日本サッカーの性質上、置くことができないのだ。置いてしまうと組織が崩れてしまうから。
これは、大久保や佐藤寿人など昨今の日本人FWが30代(近く)になってから覚醒したこととも無縁ではないだろう。絶妙なポジショニングや駆け引きで得点王を獲得した彼らだが、つまりその老練なテクニックを身に着けるまでにそれだけの時間を要したということで、それは、それ以外のタスクが多かったからだと推測する。他にやらなければならないことがたくさんあるがために、ペナルティボックスの中で相手の脅威となる術を身に着けるまでに時間がかかる。ゆえに覚醒するのが30代以降になってしまう。ちなみにこれは今年の得点王にも当てはまる。
さて、こうなるとペナルティボックスの中でこそ輝く平山のようなタイプは、育つ環境がなくなってしまう。しっかりとボールをつなげばゴールをとってくれるのだから、そういう選手を軸に組織を作り上げるというクラブがあって良いし、実際にJリーグにそういうタイプがいないということでは無い。いるのだが、現状その役割を担っているのは外国籍選手だ。
そう、待てないのだ。
平山なり田原がその才能をいかんなく発揮し敵の脅威となるには、さすがにルーキーとしてデビューしたその日からというわけにはいかず、育つのを待たなければならない。しかし、育つサッカー文化が無い上にそんなルーキーをピッチに立たせてしまっては、ゴールがまったく奪えなくなる。すると「いまゴールが奪える選手」にどうしても頼らざるを得なくなり、必然的に外国人助っ人がそこを担うことになってしまう。そうなると、もう日本人の長身ストライカは育つ場所が無い。
日本サッカーに身を置きながら「ペナルティボックスのなかで圧倒的な輝きを見せるストライカ」になるためには、大久保や小林悠のように、前線での守備やサイドからの仕掛けなど"それ以外"で試合に貢献しながら徐々にそのスキルを身に着けていく形しか、いまのところキャリアパスが無い。
僕は本当に、平山相太は"アジアのルート・ファンニステルローイ"や"パトリック・クライファート"になれるぐらいの逸材だと思っていた。今でもそれぐらいに資質があったと思っている。
事実、オランダにいた頃はとんでもないゴールを決めていた。
もしかすると、日本人の長身ストライカは、日本で育たない方が良いのかもしれない。ユースやジュニア世代から海外に身を置き、海外でそのスキルを磨き、圧倒的なゴールハント能力を身に着けてから日本代表やJリーグに身を置くのが、ベストなキャリアパスではないだろうか。
せめて、ユース世代まで日本で育ったとしても、その後は平山のようにいきなり海外に出て、純粋なストライカとしてピッチに立ち続けることで、そのスキルを身に着けてから凱旋帰国をする。
それが、日本サッカーの発展にもつながるのではないだろうか。
同時に、悲しいことでもあるのだが。
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