あろうことか、ハリルホジッチがこのタイミングで解任されてしまった。大変驚いた。
個人的には、ハリルホジッチのサッカーには否定的だったが、しかしさすがにこのタイミングで解任をするほどでもないだろうと思っている。
しかし、ネットでの反応やコラムを読んでいるとどうも違和感がある。端的に言うと論点がズレているように見える。
ネット上での反応を見ていると概ねこのようなものだろうか。
- 予選を1位通過した監督を切るのはおかしい
- なぜいま解任するんだ(タイミングが違う)
- 本番での結果が無いので分析ができなくなる
- 長期的なプランを持ち、ブレずに継続させなければならない
飲み屋でかわす愚痴ならばわかるが、議論の論点としてはぜんぶズレてるとしか思えない。
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どこがズレているのか。
一つ一つ検証してみればわかる。
「予選を1位通過した監督を切るのはおかしい」
→予選を一位通過した監督は本大会でも必ず勝てるのか?
予選は予選であって本大会とはべつのものだし、とくに日本サッカーにおいてはアジアと本大会では戦い方が変わるのは周知の事実だろう。
「なぜいま解任するんだ(タイミングが違う)」
→最適なタイミングじゃないから(過去にそのタイミングがあったから)、いまそれをやらないという根拠は?
もちろん(どうせ解任するなら)しかるべき最適なタイミングで、最適な判断により解任ができたのなら良かったのだろう。しかしそれが「だから、いま(でも)解任した方が結果が良くなるけど解任しない」となるのはおかしい。
「本番での結果が無いので分析ができなくなる」
→分析できるなら負けても良いのだろうか。分析するために本番に臨むのだろうか。
分析は非常に大事なフェーズであるし、そのフェーズをきちんと迎えられるように初めから設計してプロジェクトに臨むことも大変重要。しかし、分析のために戦っているわけではない。すべては本番での結果のために戦っているのであって、分析のために本番を捨てるというのはおかしな話だ。
「長期的なプランを持ち、ブレずに継続させなければならない」
→たしかに策なく右往左往するのは良くない。しかし「このまま続けても悪い結果になる可能性が高いとき」まで継続すべきなのだろうか。
それを「腰が重い」「柔軟性が無い」「判断が遅い」と人は揶揄する。ときにそれらをまとめて「お役所体質」などと言われたりする。長期的なプランとブレない信念は大事だが、それはフレキシブルにその場で最適解を判断していくことを否定するものではない。それがないのはただの頑固バカだ。
論点とは「目的に対する分岐点」
正直に言って、論点がまるでズレていると思う。
議論とは、両者が持っている「同意」と「不同意」を整理し、とりわけその「不同意」の部分についてなぜそう思うのか、どちらが目的に対して正しい(と思われる)結論なのかを話し合うことであり、この「不同意」の部分こそが「論点」だ。なぜなら、そこで結論が分かれるから。
では、まずそもそもとして今回の「目的」はなんなのか。そこがまず人によってブレていたりする。
「ロシアW杯で良い成績を残すこと」
ハリル解任を支持する人の目的はこれだろう。
これに対して、こんな反論が出てくる。
「いま解任したら4年間をドブに捨てるようなものだ。良かった点、悪かった点の整理がまるでできなくなる(だから解任すべきではない)」
こうやって整理すればわかると思うが、これはまるで反論になってない。
解任賛成派の人が直近のW杯で勝利することを目的としているのに、反論している人はそのあとの分析の方を目的としている。反論している人の目的がずれているので分岐点以前の問題だ。
さて、では目的はなんなのか。こういう場合、もう一つ手前のレイヤーに話を持ってくるべきだ。なぜなら、そうすると目的が一致するから。
目的は「日本サッカーの未来のため(になるか)」
この目的ならハリル解任賛成派も反対派も異論はないだろう。
本来ビジネスの議論ならここをもっと詳細に「何年後に、どういう成績をおさめるのか」を定める必要がある。たとえば「20年以内にW杯優勝をするため」など。しかしこれはビジネスでもないし、そこを明確にするには今度は「その目的は妥当なのか」という議論に移行してしまうので、ここは「日本サッカーの遥かなる未来のために」でとどめておこうと思う。
要するに、「いまだけじゃなく、未来も考えて、少しずつでも日本サッカーが良くなるように」にとどめるという話だ。
こうなると、一見するとハリル解任反対派の「未来のための分析ができなくなる」が正しいように見える。しかし、僕はそうは思わない。それはまた論点がズレている。何度も言うが、分析のために本番があるわけではないのだから。
たとえば、このロシアW杯で日本が大敗を喫したらどうなるか。
おそらく、日本代表の人気はさらに落ちるだろう。この4年間にもあったことだが、代表戦でも親善試合は民放で生中継されなくなるかもしれない。少なくとも、人気が落ちればスポンサーは減る(もしくは出資金が減る)。それはダイレクトに、日本代表の活動資金が減ることにつながる。
人気が落ちれば、ファンも減る。注目度も減る。注目度が減ればなおマスコミもスポンサーも重要視しなくなる。
振り返れば98年の初出場から、日本代表は1大会ごとに歓喜と悲哀を繰り返している。98年に失意の3連敗、02年初の決勝トーナメント進出、06年のグループリーグ敗退、10年の歓喜、14年の失意。2大会連続で歓喜をしたこともないし、逆に2大会連続で失意のどん底に落ちたこともない。
つまり、ここで一つの論点が出てくる。
「日本サッカーはこれ以上、W杯の大敗に耐えられるのか」
反対派の「分析ができなくなり、いままでやってきた4年間をドブに捨てることになる」という意見は、この点がごっそり抜け落ちている。いや、たぶん「べつに負けて良いと思っているわけではない!」という反論が出てくることは容易に想像がつくが、「もはや大敗に耐えられない」ならば、"1%でも2%でも勝率を上げるため"の方向に舵を切るべきで、これはまた反論になってない。
だが、論点はここだけではない。この論点は議論の途中の論点だ。
本来、整理すればこうなる。
「日本サッカーはこれ以上、W杯の大敗に耐えられるのか」という問いに対し、それが「Yes」ならば、ハリル続投となってもおかしい話ではない。痛手を負ってでも、むしろその痛手をきちんと受け止めてこそ次のステップに進める。
しかし、問いの結論が「No」ならばその限りではない。「俺はいま目の前だけを見ているわけではない!未来を見据えて意見を出しているんだ!」と我が物顔でいうオッサンがいるが、未来(だけ)を見据えていれば良いわけではない。いくら将来に対する投資をしても、明日倒れてしまっては何の意味もない。
大事なのは「未来をより良いものにすることを考えながら、明日倒れないように生きること」で、我々はまず「明日倒れないか」ということを考えなければならない。いや、というよりそこを最初の論点にしないと話がかみ合わない。
論点がかみ合って初めて議論になる
上記の図の「Yes/No」が論点になるところであり、ここがずれていたら議論にならないし、それはまっとうは反対意見にもなってない(もちろん、整理できているならば新たな論点を追加するのだってアリ)。
「日本サッカーはここで3連敗したってまだ大丈夫!」というならば、そこから「ほう、それはなんで?」という話ができるわけで、それなしに「振り返りが無駄になるから解任はおかしい」というのはおかいし、ましてや「予選1位突破したんだからこのまま継続すべき」なんてのは幼稚な意見と言われても仕方ない。
というわけで、ここまで見てきたどのコメントもコラムも、ここがまるで整理されているように見えなかったので自分のブログで言及するに至った。
最後に、僕自身の意見も書いておこうと思う。
僕は、冒頭にも書いた通りハリル解任に関してはそれほど賛成派ではない。
たしかにこれまでの一度も、どんなサッカーがしたいのか、それを実現できるのかというところが甚だ怪しいサッカーだったが、多くの人が言うとおり本番にはきっちり合わせてくるのではないかという淡い期待もあった。
はっきり言って僕はハリルのサッカーが嫌いだ。堅守速攻とマスコミや有識者は言うが、堅守だったことは一度もないと思っている。というか、堅守というならもっとラインを低くして、各ラインでブロックを形成し、ボールの取りどころをきちんと定めて戦うべきで、ああも前から前からプレスに行っては、かわされるのも当然だ。日本選手にはまだそんなボール奪取能力は無いのだから。
あれがアフリカ勢のように屈強なフィジカルを持つ選手の集まりであれば効果はあるかもしれないが、我々日本はどんなに走りぬいても身体では勝てないし、欧州列強のように小さな身体でも1vs1で真っ向から戦える能力は(まだ)持ち合わせていない。明らかに日本人に合ってないとしか思えない。
また、それだけプレスもといデュエルを重要視した選抜をしておきながら、中盤で見事なオーガナイズを披露していた大島僚太の離脱を嘆く。そうなのであればはじめからプレーメーカータイプのボランチやセントラルMFを登用しておくべきで、これまでずっと長谷部や山口蛍、井手口などを重宝し、プレーメーカータイプはことごとく落選させてきた。いまごろ何を言ってるんだと思う。
しかしそれでも、ここまで来た蓄積がゼロなわけではないし、前述のとおりW杯の経験がある監督なので、本番にはきっちり合わせてくるのではないかという淡い期待があり、まさかたった2ヶ月しかないこの時期に新しい監督に変えるなどという大博打に出るべきとは思わなかった。
思わなかったが、その博打が全く間違いだとも思わない。
これまでの論点の整理で語った通り、博打に出なければならない心境もわかるし博打に出るならそれはそれで一つの選択だと思う。たしかに2か月でチームが熟成することはないが、不思議と寄せ集めが一致団結して勝ってしまうことがあるのもサッカーの常だ。
とりわけ深刻なのが、選手と監督の溝。
一部の識者はこれを「サッカーではままあること」と軽視し、「出してくれる監督は良い監督だし、出してくれない監督は悪い監督というだけ」と選手の声を気にも留めていないようだが、僕はこれは危険な状態だと思う。理由は以下三点。
- 異論や不満を出しているのがサブメンバーだけではないこと
- 反論の内容がサッカーの具体的な戦術に至っていること
- 複数選手の話す内容が共通していること
負け続けることによって選手が監督の指示に疑問を抱く程度ならよくあることだが、問題はそれが「縦に速いサッカーは大事だが、さすがにもう少し中盤でつなげる時間が無いとしんどい」と、内容が共通していること。具体的明確に「このサッカーではだめだ」と複数の、主力を含むメンバーがそう思ってしまっていたら、これはもう監督と選手に乖離があるわけで、もはやチーム崩壊だ。
ちなみにザッケローニと選手の間にも戦術に乖離があったが、選手たちとの何度もの対話により、ザッケローニ側がいくらか選手側に合わせた経緯がある。それが良いか悪いかは結果のみでしか判断できないが、少なくともチームが崩壊するよりは良い。チームスポーツにおいって最も恐ろしいのはどんな戦術を選択するかではなく、選択した戦術を選手が自信を持って行使できない事態だ。
そういう意味で、僕はハリルのサッカーは好きではないが、そんなものは好みの問題であってどうでもいいと言えばどうでもいい(サポーターとしては大変重要なことだが)。ハリルのサッカーをやりたいのならば、選手に自信を持ってそうまっとうできるようにマネジメントすべきで、ハリルはそれに失敗した時点で、解任という判断が出るのも致し方なしだと、僕は思っている。
「4年間をドブに捨てる」ということになるが、それはもう4年間という意味ではもはや敗戦処理と同じで、そしてそれはこの4年間の一つ一つが(すべてではないが)失敗という結果を出し続けてきたからこそであり、もっといえば4年前の大敗した時点でそれは始まっていたのだと捉えるべきだ。あのとき、良い成績を残せていれば我々はここでハリルを解任せずに勝負にでることができた。その余裕があった。しかし、いまの日本サッカーにはその余裕が無い。
厳密に言えば、おそらくここで2大会連続の大敗という結果になっても、日本サッカーが死ぬことはないと思う。Jリーグのサポーターはそんなにやわではない。しかし、確実に日本サッカーの人気が一歩後退することで、またJリーグのサポーターに迷惑をかけることになるだろう。
これ以上、サッカーに関心がもたれない環境ができてしまえば、ただでさえ苦しいクラブ経営をさらに苦しませることになるだろう。そして、現状のJリーグ人気はまだまだ「サッカー好きが注目しているレベル」を脱しておらず、ここから先は「サッカーの楽しさ」をどれだけ訴えてももうマーケットがそこにはないだろう。そこで反応する人たちはすでにアプローチされている。
そうではない、ライト層のさらにライトな層をどうやって取り入れるかがJリーグにも、日本サッカーにも問われているところであり、その最も大事なものがW杯の結果になる。
ここで負けると、日本サッカーにとっていま最も重要なことが、一気に離脱していく。
大方、負ける確率の方が高いわけだが、1%でも2%でも本大会で勝てる可能性を高める判断をしたことを、僕は評価したいと思う。
同時に、勝っても負けても、直前でこのような博打に出ざるを得なくなったことを大いに反省し、原因を分析してほしいと思う。
すべては、日本サッカーの未来のために。
追記
Twitterでこんな反応を貰った。
論点は正しいかもしれないけど、結論が?
-- いっぺい®️ (@ippeirelax) 2018年4月12日
クビにした三年やってたハリルと新監督に就任する二ヶ月の西野で勝つ確率が1-2%も上がらないと思ってるから批判してる人が多いんじゃないか。
誤解の無いように改めて書いておくが、僕は冒頭に書いた通り今回の解任を完全な賛成というわけではない。仮に自分が日本サッカー協会の人間なら解任という選択はしてないと思う。
そういう意味で「このままいく方が勝率高かっただろ」という人の意見も、別に真っ向から否定するつもりはない。というか常識からすればおかしい。しかし、逆に解任を完全否定するほどの材料も無いだろう、というのが僕の見解だ。
追記2
はてなブックマークでさまざまなコメントを貰った。
正直に言って、議論にすらならない(それこそズレている)コメントだと思ったが、そうでないものもあるのでレスをしてみようと思う。
だがそのまえに、まず大前提を整理しておきたい。僕がこの記事で言っていることは二つある。前段が「論点がズレている」、後段が「整理した論点のうえで自分の意見を言うならば」で、そこをわけて読んで欲しい。
【ハリル解任】論点は解任ブーストの是非でも分析ができなくなることでもない。|センターサークルのその向こう―サッカー小説とコラム―
もし今回の監督交代で良い結果を残した場合(可能性が無いとは思わない)、直前の監督交代が今後肯定的に捉えられる可能性が高い訳だけど、それが「日本サッカーの未来」にとって良いこととは思えないのです。
2018/04/15 21:28
これは、現実問題としてはそうなると思う。
そして、「そうなってはならない」というのが僕の意見だ。そのため、本文に以下のように書いている。
同時に、勝っても負けても、直前でこのような博打に出ざるを得なくなったことを大いに反省し、原因を分析してほしいと思う。
難しいことだとはわかっているが、それこそ我々サポーター、国民の責務だと思う。仮に良い結果が出たとして、我々がマスメディアに煽られすべてを良かったとしてしまうのが最も恐ろしい。そうさせないのが、我々サポーターや視聴者の務めではないだろうか(あくまでサッカー界を盛り上げるため、という前提だが。娯楽として消費したいだけならその限りではない)。
【ハリル解任】論点は解任ブーストの是非でも分析ができなくなることでもない。|センターサークルのその向こう―サッカー小説とコラム―
文中のチャートで言うと「このままハリルで挑んだ方が〜」は「西野監督に交代すると勝率が上がるか」で選択肢は「1.上がる」「2.不明orほぼ変わらない」「3.下がる」だろ。そして不明〜下がると考える人が多いのでは。
2018/04/15 16:10
これは正直、痛いところを突かれた。
議論の構図を簡略化するために選択肢を一つ省いたのだが、正しいのはコメントの方だと思う。おっしゃる通り。そしてこれこそが議論で、お互いが論点を整理したうえで「選択肢はもう一つあるんじゃないか?」と言えることが大事だと思う。その上で、僕は「解任はそれはそれでありではないか」になるわけだが、それでいいと思う。
【ハリル解任】論点は解任ブーストの是非でも分析ができなくなることでもない。|センターサークルのその向こう―サッカー小説とコラム―
仮に監督変えて勝ったら、とりあえず監督変えればいいという悪しき風習だけ残りますし、それでは長期的な戦略もないですね。
2018/04/14 11:27
これこそまさしく「論点がズレている」だと思うのだが、ちゃんと読んでいただけてないのだろうか(そしてそれは筆者の問題だが)。
悪しき風習が残るのも、長期的な戦略もないのも百も承知。しかし、長期的な戦略を優先した結果、日本サッカーが倒れてしまっては元も子もない。ゆえに、その手前に「日本サッカーはこれ以上耐えられるのか」と論点を置いているわけで。まずここを整理しないと長期も短期もないでしょう。
【ハリル解任】論点は解任ブーストの是非でも分析ができなくなることでもない。|センターサークルのその向こう―サッカー小説とコラム―
この方が整理した論点への回答はほぼ屁理屈だ。「必ず勝てるのか?」とか、そんなこと判る人がいるなら最初からそういう監督選ぶだろう。「ハリルのままなら必ず負けるのか?」という問いにはどう返すのだろう?
2018/04/14 21:42
これはさすがに幼稚だと言わざるを得ないが・・・。
「必ず勝てるのか?」と問うたのは、「必ず勝てる論だけを持て」と言っているわけではない。「予選を1位通過した監督を切るのはおかしい」という見解の者に対して「予選を1位通過したことのどこに保証があるのだ?」という意味で使っているだけで、そもそも未来は誰にもわからない。それこそ議論になってないだろう。
「「ハリルのままなら必ず負けるのか?」という問いにはどう返すのだろう?」
という問いには、もちろん「必ず負けるとは思わないが、高確率で負けると自分は思う」と答えるのみだ。
【ハリル解任】論点は解任ブーストの是非でも分析ができなくなることでもない。|センターサークルのその向こう―サッカー小説とコラム―
単純明快な論点でわかりやすいけど、この論法なら協会のいかなる決定も是とする事ができるなぁと。全ては未知数なんだから。
2018/04/14 10:00
「"個人の意見として"是とすることができる」という意味ならその通り。もとい、個人の意見なんてその人の自由なんだから誰のどんな意見だって是とできるわけだが。
ただ、「協会の決定を、万人が絶対的な(要するに正解という意味で)是とする事ができるか」は別の話で、結果でしかわからないし、そして結果が出ない限り誰もできないだろう。おっしゃるとおり未知数なんだから。そもそも、いまこの段階ではそのレイヤーの話はしておらず、有識者だろうが素人だろうが、誰が何を言おうと「結果のわからない想像や仮説」に過ぎない。
その想像や仮説を戦わせて、寄り良い結論(ときにその場が楽しければ良い"酒の肴")を導き出すことを議論するというのだろう。「毛かはまだわからないが、協会の判断は間違いだ。なぜなら~」と論じることは誰でもできるわけで、そして僕はそれを否定しない。ここで言っているのは多く人が論点がズレている、と言ってるだけで。
以上。ブコメを見てコメントをしてみた。自分の文章力の無さを呪わざるを得ないが、しかしやはり「議論」というものがこの国にまるで根付いてないのではないか、とも思う。
つづきを書かいた。
正当な続きではないが、あまりにひどい記事に出会ったのでつづきとして書いてみた。もしよければ読んで欲しい。
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