センターサークルのその向こう-サッカー小説-

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コラム

スタメンを奪われた草サッカー選手 ~右の名波になりたかった~

大嫌いな"守備的MF"が人生を変えた

サッカーをほんの少しでも知っている人に出会うと2つの質問をしたくなる。

不躾なので結局しないのだけれど。

「仏W杯最終予選、W杯初出場に最も貢献した選手は誰だと思いますか?」

「ボランチって知ってますか?」

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―1997年の春、僕はスタメンを外された。

二十歳を目前に控える頃、僕は社会人市リーグといういわゆる"まじめな草サッカー"に没頭していた。当時それなりにプライドがあった。トップ下というポジションに。最底辺にあたる市の3部だったんだけれど、それでも。

ボールを収め、ゴールではないどこかへ蹴ること、つまりパスには自信があった。いや、選抜歴もないその辺にいるサッカー小僧だったが、このチームにおいては一番パスが上手いと思っていた。なのに、なのに、なぜ。

「お前のトップ下はダメだ」

監督からの言葉は、10代の若者にはそれはそれは心が折れるに十分な出来事だった。

その後、当時まだ"守備的MF"という呼び名のほうが主流だったポジションに僕は移されることになる。苦難の連続だった。やりたくなかった。守備的というからには汗をかいて走りまわり、泥だらけになって敵と格闘し、そのうえ攻撃に出ればこれまた汗をかく。守備は下手だし、走らされるばかりで面白くもない。嫌でしょうがなかった。

そんな時だった。青い戦闘服を来た男が、同じようにポジションを変えられて苦しんでいる姿をブラウン管で発見したのは。その男の名は、名波浩。当時、日本代表の10番を背負い、初のW杯出場を目指して予選を戦っていた頃だった。

監督の加茂周から出ていたオーダーはこうだ。

「守備の時には最終ラインまで下がり、攻撃時には得点シーンにも顔を出せ」

無理だ、バカげていると思った。慣れないポジションをやるだけでも辛いのに、それを超えて攻守に絡めというのは不可能にも程がある。事実、名波は調子を落としあの地獄のような予選のさなか、戦犯の一人に晒しあげられていた。

しかし彼は、僕とは違い腐らなかった。司令塔、中田英寿の後ろで苦しみもがき、そして最後には開き直った。後に彼は自伝でその時のことを「もう楽しむしか無いと思った」と語っている。

1997年11月1日 韓国 対 日本。

自力突破も完全に消え背水の陣で臨んだ日本代表は、開始数分の先制点で試合の主導権を握り2-0で勝利する。悪い流れが変わる節目となったその試合、名波は左サイドの相馬と共に最終ライン付近でボールを奪い、先制点がうまれる。得点したのも名波だった。あのオーダーをやってのけた。この人は、化け物だと思った。

名波は僕のHEROになった。 "ボランチの先生"として。常に彼のニュースを追い、イタリアに渡った際はスカパーまで加入した。彼を真似ることでボランチが好きになった。

イタリアから帰国した翌年、彼は「終わりなき旅」と題した自伝的エッセイを出版する。

そこには彼の、サッカーだけにとどまらない哲学があった。左足ではなく文字で紡がれたその哲学を僕は貪るように読んだ。

例えばこんな一節がある。

「俺は刺身と醤油なら醤油でいい」

刺身の良さを最大限に引き出す脇役の醤油。花形じゃなくていい。楽しいサッカーをするための、仲間の良さを引き出す黒子でいい。若き中村俊輔が不慣れな左サイドに押し込められれば、名波は試合中に自身とのポジションチェンジを促す。「あいつは中でこそ生きるから」。後に中村俊輔はこう語ったらしい。

「名波さんがいるなら、左サイドでもいい」

ある選手は、サブメンバーの練習に帰国したばかりの名波が合流した時、顔も合わせたことのないメンバーの名前を全員覚えていたという話も聞いたことがある。

こんな輝き方もあるのかと驚いた。世間から注目されることが全てじゃない。仲間を生かすことで、わかる人がわかってくれればいい。

「ちやほやされる必要はない。裏方でも仲間にこそ求められる生き方」

目の前がぱっと開けた気がした。

僕はサッカー選手にはなれなかった。もとい、目指してもいない。 "普通の"お仕事についた。でも、仲間を大切にし、そのために考えぬき、最高の仕事をするために頑張る姿勢はボランチになって、名波浩という才能に教えられた。「終わりなき旅」には、そんな彼の哲学がふんだんに盛り込まれている。ぜひ、サッカーに少しでも興味がある人、W杯で熱狂した人は読んでみて欲しい。

―つぎの試合前、チームの監督からスタメンが発表される。

3-5-2のツートップから順に名前が呼ばれるその発表を、僕はほとんど聞いてなかった。それでも3人目に呼ばれる名前が自分ではないことだけは薄っすらと聞いたが、後はもうどうでもいい。交代で出た時のことばかり考えていた。

でも、僕の名前は呼ばれた。

3人目の、そのまた3人後に。

僕はスタメン落ちをしたわけじゃなかった。

当時はまだ知らない。

そのピッチに立つことが、後に自分の考え方や人生をがらりと変えることを。


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